日本歴史地名大系 「上川原町」の解説 上川原町かみかわらまち 兵庫県:龍野市龍野町上川原町[現在地名]龍野市龍野町上川原(たつのちようかみかわら)・龍野町柳原(たつのちようやなぎはら)・龍野町門の外(たつのちようもんのそと)・龍野町旭町(たつのちようあさひまち)・龍野町水神町(たつのちようすいじんちよう)大手(おおて)門南の東西に延びる横(よこ)町筋の東にあり、北は北龍野村新(しん)町に、南は下川原町に続き、東は揖保(いぼ)川に面する。枝町として上太田(かみおおた)町・下太田町・太田町(横丁)・九艘(くその)町・門の外がある。大手筋から九艘町へ通じる東西の道と山崎(やまさき)(現山崎町)方面に通じる南北の道が交差する付近は角目(かどめ)とよばれ、角目から北上した突当りに善龍(ぜんりゆう)寺、同寺の北には真言宗宝幢(ほうどう)寺(現廃寺)がある。寺の東に上川原口門が設けられ、惣門の北に延びる町筋を門の外と称した。 上川原町かみがわらまち 富山県:高岡市高岡町上川原町[現在地名]高岡市川原本町(かわらほんまち)千保(せんぼ)川右岸、橋番(はしばん)町の北に南北に延びる両側町で、北は中川原(なかがわら)町に続く。地子町で、中川原町・下川原町とともに承応二年(一六五三)から正徳四年(一七一四)の庄川改修によってできた千保川の河道跡に立地。歩数一千八八八歩七厘(不歩記)、明治六年(一八七三)の地子地二千一三六坪三合(沽券調総計帳)。宝永四年(一七〇七)千保川の洪水のため川原町(上川原町・中川原町・川原上町・横川原町・下川原町)全体で二八五戸が浸水した(高岡市史)。天明五年(一七八五)の家数四二(家数書上帳)。文政四年(一八二一)の高岡大火は当町近辺から出火、二日間にわたって燃え続ける大火となり、三七ヵ町を延焼した。 上川原町かみかわらまち 岐阜県:高山市高山町上川原町[現在地名]高山市上川原町(かみかわはらまち)城(しろ)山の西、宮(みや)川左岸に位置する。二之町(にのまち)村に所属し、東は同川を挟んで神明(しんめい)町、北は東川原町、南は千島(ちじま)村。金森氏時代は扶持人の屋敷などもあったが、幕府領になって以後は商人・職人・日雇稼の者が住んだ(飛騨国中案内)。元禄七年(一六九四)の検地によれば三之町村に含まれ、屋敷三反余・分米二石四斗余、屋敷持数・家数一八(同八年「三之町村屋舗検地帳」高山市立郷土館蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by