上粕尾村(読み)かみかすおむら

日本歴史地名大系 「上粕尾村」の解説

上粕尾村
かみかすおむら

[現在地名]粟野町上粕尾

地蔵じぞう(一二七四・三メートル)の東麓を源流とする粕尾川(思川)の最上流部を占め、発光路ほつこうじ半縄はんなわ栃原とちばら細尾ほそおなどの集落がある山村。東は山を挟み都賀郡入粟野いりあわの村、下流は中粕尾村。粕尾川上流には足尾あしお村に抜ける粕尾峠(標高一一二〇メートル)がある。中粕尾・下粕尾を含め一帯は粕尾郷と称され、永徳二年(一三八二)四月日の島津政忠軍忠状(島津文書)や同年同月の烟田重幹代井河信吉軍忠状案(烟田文書)に「糟尾」とみえる。同年三月二二日祇園ぎおん(現小山市)に敗れた小山義政は、息若犬丸とともに当地に逃れ粕尾城に籠城したが敗北した(「頼印大僧正行状絵詞」など)。永禄七年(一五六四)四月二七日の佐野昌綱充行状写(島津文書)によれば、佐野昌綱は小曾戸泰忠に粕尾郷のうち五千疋の地を与えている。また同年六月九日の佐野昌綱安堵状(同文書)では、同郷のうち五〇貫六五六文が同人に与えられており、同安堵状には同郷の地名として松崎まつざき・ふせや・大越しなど、作人として黒川・下妻・鈴木・小杉野尻などの名がみえる。小曾戸氏は永野ながの川沿いの星野ほしの(現栃木市)の佐野氏代官に取立てられた在地土豪と推定される。なお戦国期と推定される一二月三日の忠景・宅広連署充行状写(同文書)によると、同郷には小曾戸氏の知行地のほか、「六人之知行并大塚給分」があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android