上青野村(読み)かみあおのむら

日本歴史地名大系 「上青野村」の解説

上青野村
かみあおのむら

[現在地名]岡崎市上青野町

岡崎城下の西南方、矢作川左岸に位置し、東は土井どい村、西は高橋たかはし新田村、南は下青野村、北は中之郷なかのごう村に接する。伝承によると周囲の合歓木ねむのき在家ざいけ高落たかおち(現西尾市)などは皆青野郷の支村であるという(六ッ美村誌)

天文年間(一五三二―五五)には青野村古城主として松平五代長親の六男義春、弘治―永禄年間(一五五五―七〇)には同家忠の名前がある。天正一八年(一五九〇)には岡崎藩領(岡崎市史)。慶長九年(一六〇四)の岡崎藩領検地の際にはすでに上下の青野村に分れており、慶安二年(一六四九)の検地では村高八二八石余。堤通手永に属し、享和二年書上によると人別五五八人、うち男二四四・女三一四とある。


上青野村
かみあおのむら

[現在地名]三田市上青野

下青野村の北、千丈寺せんじようじ山北麓の山間に立地する。わずかに開けた青野川上流域の谷底平野に集落が散在する。慶長国絵図に上青野村とみえ、高二四七石余。正保郷帳では高三一五石。千丈寺山の北方連山を横断して乙原おちばら村へ通じる山道があり、峠は伊勢参宮の人々を見送ったことから「いてこい」と称されたという。四方山に囲まれた当地では炭焼が盛んであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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