日本歴史地名大系 「下安井村」の解説 下安井村しもやすいむら 広島県:芦品郡新市町下安井村[現在地名]新市町下安井品治(ほんじ)郡に属し、上安井村の南、神谷(かや)川の中流域に位置する。中世には新免(しんめん)とよばれた地域の一部(→上安井村)。寛文一一年(一六七一)の下安井村地詰帳(広島大学蔵)によれば高八一二石余、反別七九町余(六尺五寸竿)、元禄一三年(一七〇〇)の下安井村御検地水帳(同大学蔵)では八七八石余、八六町余(六尺一分竿)。 下安井村しもやすいむら 鳥取県:日野郡江府町下安井村[現在地名]江府町下安井北東流する日野川西岸に位置し、北は洲河崎(すがさき)村。村域はほとんど山地で、山麓の日野川沿いの平地に集落があり、日野往来の西岸路が通る。古くは奥見村と称したが、のち下安井村と改めたとされる(伯耆志)。慶長六年(一六〇一)正月一五日の重信裁許状(久連区有文書)に「下安井分美女石より佐川出入申候」とあり、近世初期の下安井は洲河崎および久連の美女石(くれのびじよいし)付近までを含んでいた可能性がある。この時の佐川と美女石との間の境界争いにおいて、吉川氏時代の検地帳に基づくようにとの裁許が下されていることから、洲河崎・久連の両村はその後の村切によって成立したとも考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by