下殿河内村(読み)しもとのごうちむら

日本歴史地名大系 「下殿河内村」の解説

下殿河内村
しもとのごうちむら

[現在地名]加計町下殿河内

南を上殿河内村(現戸河内町)に接する以外は加計村に周りを囲まれる。太田おおた川の河岸段丘および山間台地上に集落点在。村内には鵜渡瀬うどせたおほり沖原おきのはら杉之泊すぎのとまり柴明しばあけなど点在する集落をつなぐ村道六筋がある。杉之泊の東部小丘上に杉之泊古墳があり、数個の巨大な組合せ石棺が納められていたが、石棺の一部は破壊され、内部の遺骨副葬品などは不明。

天正末年の吉川広家領地付立(吉川家文書)にみえる「殿場内三十八貫」の地が殿河内にあてられる。「国郡志下調書出帳」によると、「往古戸河内村之内ニ御座候処、殿河内二村ニ相分レ候由申伝候、其後正保二年之頃、右殿河内又二村ニ分レ上殿河内・下殿河内相成、都合三村ニ相分レ申候」と伝えるが、戸河内とごうち(現戸河内町)からの分村、正保二年(一六四五)の村切ともに確証は得られない。元和五年(一六一九)安芸国知行帳では、戸河内(高二〇〇三・九二八石)に含まれていたと思われるが、寛永一五年(一六三八)の地詰では高四一五・三六九石、畝数四六町二反一畝六歩の下殿河内村となっている(宝永六年山県郡下殿河内村差出帳「加計町史資料」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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