江戸期~明治期に市中で楊弓を遊ばせた遊戯場。江戸では矢場と俗称した。射た矢を集めるという名目で矢拾女(矢場女)がおり,客に接して向き合い,右手に弓を持ち,左手で巧みに射たという。後にはこれが私娼(ししよう)化し,的場の裏の小部屋などで接客した。また,的中者に景品を出したり,射的のように品物をつり下げて射させたので,楊弓場は売春と賭博(とばく)の両面で取締りの対象になった。天保改革で禁止されたが,すぐに復活し,浅草奥山には軒を並べていたが,明治中期ごろから衰退した。
執筆者:原島 陽一
楊弓は唐の玄宗皇帝が楊貴妃とともに楽しんだとも伝えられ,古く中国から渡来したものと思われる。ふつう楊柳でつくった2尺8寸(85cm)の弓に白鳥の矢羽根をつけた9寸(27cm)の矢をつがえ,7間半(13.5m)の距離をおき,垜(あずち)にかけた3寸(9.09cm)前後の的を射るのを定式とした。室町時代には蹴鞠(けまり),詩歌,管絃などとともに宮中の七夕の七遊(ななあそび)の一つにも加えられたが,民間にも伝わっておおいに流行し,競技会まで開かれた。
執筆者:石田 雅男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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