日本歴史地名大系 「下田原貝塚」の解説 下田原貝塚しもたばるかいづか 沖縄県:八重山諸島竹富町波照間村下田原貝塚[現在地名]竹富町波照間名石(ないし)集落の北方約一キロ、島の北海岸に面した標高三―九メートルの琉球石灰岩(石灰質砂岩)上の緩傾斜面に立地する。先島先史時代前期の集落遺跡で、当貝塚を指標とする下田原式土器で知られる。県指定史跡。一帯はサトウキビ、サツマイモなどの畑地と牧場跡地で、東に近接して先島先史時代後期の大泊浜(おおどまりばま)貝塚がある。一九五四年(昭和二九年)に発見され、五四年から八五年まで数次にわたって発掘調査が行われた。基本層序は五枚で、II―IV層が遺物包含層。とくにIII層は貝塚を形成する。炭素14法によるIII層の測定年代は三七〇〇年前。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の下田原貝塚の言及 【波照間島】より …5集落が島の中央部にあり,石垣島から定期船が通じ,航路もある。北部には下田原(しもたばる)土器などを出土する下田原貝塚がある。八重山では古くから開けた島で,独特の民俗,言語が残る。… ※「下田原貝塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by