日本歴史地名大系 「下羅井用水」の解説 下羅井用水したらいようすい 徳島県:徳島市旧名東郡地区下羅井用水現国府町観音寺(こくふちようかんのんじ)の舌洗(したらい)池を水源とする用水。江戸時代には名東郡観音寺村より北西へ流れ、同村および下流の名東郡敷地(しきじ)村・池尻(いけじり)村・桜間(さくらま)村、名西(みようざい)郡尼寺(にじ)村・白鳥(しろとり)村・桜間村・加茂野(かもの)村・市楽(いちらく)村(現石井町)の九ヵ村の水田を灌漑していた。開削の時期は不明だが、中世にさかのぼるとも考えられる。天正一七年(一五八九)五月二八日の日付と蜂須賀家政の判がすえられている下羅井番水定書(坂東家文書)がある。同定書では関係九ヵ村の時間番水(時割)が、一番・六時観音寺村、二番・一〇時敷地村、三番・二時尼寺村、四番・八時白鳥村、五番・四時池尻村、六番・一二時以西(いさい)郡(名東郡)桜間村、七番・四時名西郡桜間村、八番・四時加茂野村、九番・六時市楽村と記されたうえに、末代までこの定めに従って引水し、もし出入・口論があった際はきびしく糺明し妻子まで厳科に処すと、水争いが厳しくいさめられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by