下茂原村(読み)しももばらむら

日本歴史地名大系 「下茂原村」の解説

下茂原村
しももばらむら

[現在地名]茂原市茂原・東部台とうぶだい八千代やちよ道表どうびよう千代田町ちよだちよう

現茂原市の中央部南寄り、房総丘陵九十九里平野接点に位置する。南を一宮いちのみや川が東流し、村の西部で同川に南流する豊田とよだ川が合流する。本納ほんのう村方面からの通称房総東街道や江戸湾と外房を結ぶ伊南房州通いなんぼうしゆうどおり往還、さらに長南ちようなん宿(現長南町)への道が通る交通の要衝であった。平安時代の藻原もばら庄、中世の藻原(茂原)郷の中心地と考えられ、藻原そうげん寺の門前町であった。近世には単に茂原村とも称され、在郷町の茂原町が形成され、市場や馬継場があった。天正一八年(一五九〇)の諸大名旗本分限帳(内閣文庫)によると、大久保治右衛門忠佐は「上総(茂)原」において五千石を与えられているが、慶長六年(一六〇一)忠佐は駿河沼津ぬまづ(現静岡県沼津市)に転封となって二万石を領した(寛政重修諸家譜)。天正一九年九月二日の畑方検地帳(千葉県文書館蔵)の表紙に「長北郡茂原之郷小縄打水帳」とある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に茂原村とみえ、高二八九石。寛永二年(一六二五)旗本石丸権六(有吉)は茂原村の内で一〇〇石を宛行われた(知行宛行状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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