日本歴史地名大系 「下黒田村」の解説
下黒田村
しもくろだむら
黒田六ヵ村の一。蛇行する
古代は「和名抄」に記す
下黒田村の名主として、菅川禰宜・次川(菅河)左衛門太郎・和田中掃部・塩野中左近・塩野新屋左近・大江右近允・坂尻左近允・田口掃部助・鶴野兵庫允・東谷ノ丞仕中務允・上由利右近・下由利兵衛二郎など一〇余名が史料にみられる(井本昭家文書)。天文一九年(一五五〇)五月の郷中名主之事(吹上家文書)には、名主として井本左近尉友春・大東新藤吾重康・大江金兵衛成高・丹波屋兵衛尉百之の四家があげられている。名主には禁裏より口宣案が下賜されて、姓名・官職を与えられた。その古い例として井本家の祖先の采女永国・采女国光が、永正一四年(一五一七)三月二七日付で左近将監に任ぜられている(井本昭家文書)。
黒田三ヵ村(上黒田・下黒田・黒田宮)には国貞・貞真・仰師・
惣は名主層で管理・運営され、名主は惣山・名田・宮座の管理のほか、貢納の責務、山国庄惣中との連係など村落行政の一切を支配していた。各村は各々惣の印を持っていた。
下黒田村
しもくろだむら
下黒田村
しもくろだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報