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世良親王 よよししんのう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

世良親王 よよししんのう

ときよししんのう

世良親王 ときよししんのう

?-1330 鎌倉時代,後醍醐(ごだいご)天皇の皇子。
母は西園寺(橋本)実俊(さねとし)の娘。亀山天皇の皇女昭慶門院に養育され,北畠親房(ちかふさ)が傅(めのと)をつとめる。大宰帥(だざいのそち),上野(こうずけの)太守。賢明で父から期待されたが,元徳2年9月18日早世。遺言で親王の邸宅に臨川(りんせん)寺がひらかれた。名は「よよし」「つぎなが」ともよむ。

世良親王 つぎながしんのう

ときよししんのう

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

世良親王

没年:元徳2.9.17(1330.10.29)
生年:生年不詳
後醍醐天皇の皇子。母は参議西園寺実俊の娘。大宰帥になったので「帥の御子」という。すぐれた資質の持ち主であったらしく,父後醍醐の期待を一身に受けた。また亀山上皇の皇女昭慶門院憙子に愛育され,同女院の遺領18カ所を譲与された。世良は元徳2(1330)年9月に病没し,周囲を嘆かせた。行年は20歳前後と思われるが,没する直前,自分の住居「河端別業」を禅院となし,所領を寄進することを遺言した。この遺志は父後醍醐天皇によって聞きいれられ,洛西の臨川寺が開かれた。世良が没すると,その乳父の北畠親房が出家。なお『太平記』に世良は登場しない。<参考文献>森茂暁『皇子たちの南北朝』

(森茂暁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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