日本歴史地名大系 「両家村」の解説
両家村
りようけむら
宮内川上流の村で、西は
「大成郡録」に記された太閤検地の村高は七五石二斗七合、耕地面積の比率は田二七パーセント、畑七三パーセントであるが、寛文検地では村高が一・五倍に増え、耕地面積が田一八パーセント、畑八二パーセントに変わり、畑の開発の進んだことがわかる。「墅截」によって寛文(一六六一―七三)頃の村の状態をみると村柄「中」、田畑とも「中」、水掛り「吉」とあり、鬮持制実施期の本百姓一人前耕地は田二反九畝、畑一町二反八畝、百姓数一九人のうち本百姓一二人、半百姓七人となっている。
両家村
りようけむら
両家村
りようけむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報