改訂新版 世界大百科事典 「平家伝説」の意味・わかりやすい解説
平家伝説 (へいけでんせつ)
合戦に敗れた平家一門が隠れ住んだという村の伝説。これらの村々は,南の薩南諸島から北の岩手,山形に至る広い地域に及び,おもに四国,九州の山間部に集中している。全国的には,宮崎県椎葉,熊本県五家荘,徳島県祖谷(いや)山,岐阜県白川郷,新潟県秋山郷,福島県檜枝岐(ひのえまた)などがよく知られている。現在までに約150ヵ所あまり報告され,さまざまな伝説が残されている。その中には,自分たちがただ平家公達の末流と称するだけではなく,安徳天皇や平維盛・重盛などの子孫と伝える所もある。たとえば,安徳天皇が壇ノ浦から無事脱出し生き延びたという伝承は多く,徳島や鳥取,山口県ほか数十ヵ所に陵墓があると言われている。とくに,硫黄島には安徳天皇の子孫と信じる家があり,天皇は1243年(寛元1)同島にて没したと伝えられている。そして,これらの村や家では,たいてい伝承の正当性を主張する系図,旗,刀剣,甲冑(かつちゆう),鏡などの品が大切に保管されている。しかし,これらの村は実際には政争や戦に敗北した落武者が草分けになったという隠田百姓村や木地屋,狩人,神人,巫女たちが開拓した村ではないかと考えられている。平家と無縁の村がその末裔(まつえい)と信じ血筋を誇りにしてきたことの背景を探る上で注目されるのは,盲僧たちによる〈平家語り〉の普及である。彼らは早くから物語や昔話を携えて僻村(へきそん)にも足を向け〈平家〉を語って歩いた。外部からの刺激や情報の少ない村では,このことがきっかけとなり物語の内容が自分の村の話として組み込まれ深山幽谷にあまたの平家伝説が流布,定着したと考えられる。同時に,流浪の貴種に寄せる同情や都への憧憬といった心情が,この種の伝説を強く支える柱になっているとも思われる。
→隠れ里
執筆者:戸塚 ひろみ
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報