日本歴史地名大系 「中小坂村」の解説 中小坂村なかおさかむら 埼玉県:坂戸市中小坂村[現在地名]坂戸市中小坂・東坂戸(ひがしさかど)一―二丁目紺屋(こうや)村の南にあり、南は高麗(こま)郡下小坂村(現川越市)、北西は同郡下広谷(しもひろや)村(現同上)。入間(いるま)郡河越領に属した(風土記稿)。田園簿では田六九石余・畑八八石余・野高一石余、水損場と注記される。幕府領(一二八石余)・川越藩領(二一石余)・旗本設楽領(一〇石)の三給。川越藩領分は寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高二七石余、反別は田一町七反余・畑一町五反余。元禄一五年(一七〇二)以前に全村が川越藩領となるが、村高は九四石と減少している(河越御領分明細記)。秋元家時代の郷帳では高九四石余、検地出高二〇四石余、反別は田一四町五反余・畑五一町余。 中小坂村なかおさかむら 群馬県:甘楽郡下仁田町中小坂村[現在地名]下仁田町中小坂大桁(おおげた)山(八三五・九メートル)の西麓に位置し、村央を南流する小坂川が南部で鏑(かぶら)川に合して東流する。北は上小坂村、南東は下小坂村、西は大平(おおだいら)村などと接する。近世はおおむね小幡藩領。寛文郷帳では田方二〇石二斗余・畑方四〇九石三斗余。文政前後の領内村々書上帳(松浦文書)によると、本新合せて田二町二反余・畑七三町一反二畝余、年貢は米一五石余・永一八二貫文余、小物成として真綿一八把・大豆六石余を納め、四季打鉄砲二挺・猟師鉄砲一三挺を所持した。 中小坂村なかこさかむら 大阪府:東大阪市旧布施市地区中小坂村[現在地名]東大阪市中小阪(なかこさか)一―五丁目・小阪本(こさかほん)町一―二丁目・下小阪(しもこさか)一丁目・同三―四丁目若江郡に属し、下小坂村の南にある平坦の地。大和川付替えに伴い、西の村境を流れていた長瀬(ながせ)川川床が開発されて菱屋西(ひしやにし)新田となった。条里制の坪名と関係のある五ノ坪・坪ノ内などの小字名が残る。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高七一九石余、幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by