中山寺跡(読み)なかやまでらあと

日本歴史地名大系 「中山寺跡」の解説

中山寺跡
なかやまでらあと

奈良県天理市中山町にあったとみられる寺院。大和稚宮おおやまとわかみや神社の西、中山観音堂の北方に存在したと伝え、複弁蓮華文の古瓦が出土し、付近に東大門ひがしだいもんてらまえ・大門・不動谷ふどうだに薬師谷やくしだになどの小字が残る。天平一七年(七四五)に行基が開き、中山中楽なかやまちゆうらく寺と称したとも伝える。「続日本紀」天平勝宝二年(七五〇)五月二四日条に「震中山寺、塔并歩廊尽焼」とみえる。興福寺大乗院末で興法こうほう寺と号し、「大乗院寺社雑事記」寛正二年(一四六一)四月六日条に「次中山寺ニ参了、楊本先陣ニ参了」とみえ、大乗院門跡尋尊が長谷はせ(現奈良県桜井市)からの帰途、当寺に詣でている。


中山寺跡
なかやまでらあと

[現在地名]多良木町奥野 中山

中山の山中本堂である観音堂が残る。真言宗。本尊聖観音菩薩像。相良三十三観音の二八番札所。文明一一年(一四七九)一二月一五日の相良為続田畠目録(相良家文書)に「中山寺領」として仏餉田・修正田・油田・風呂田など田畠五町二丈があり、「竹の下」「ミなミのさこ」「はしくち」「かさかけ」「ほりの口」などにあった。天文一六年(一五四七)一月二〇日の真誉献灯立願文(願成寺文書)によれば、願成がんじよう(現人吉市)の真誉が中山寺などに献灯している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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