中山寺(読み)ナカヤマデラ

デジタル大辞泉 「中山寺」の意味・読み・例文・類語

なかやま‐でら【中山寺】

兵庫県宝塚市にある真言宗中山寺派の大本山。山号は紫雲山用明天皇元年(586)聖徳太子の開創と伝える。現在の堂宇は慶長8年(1603)豊臣秀頼の再建。西国三十三所第24番札所。仲山寺。中山観音。

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精選版 日本国語大辞典 「中山寺」の意味・読み・例文・類語

なかやま‐でら【中山寺】

  1. 兵庫県宝塚市にある真言宗中山寺派の大本山。山号は紫雲山。聖徳太子の創建と伝える。のち豊臣秀頼が再建。西国三十三所の第二四番札所。安産祈願の寺として知られる。仲山寺。中山観音。

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日本歴史地名大系 「中山寺」の解説

中山寺
なかやまでら

[現在地名]宝塚市中山寺二丁目

勅使てし川西岸にあり北方中山頂上近くに奥院がある。仲山寺とも表記する。真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山、本尊は十一面観音。西国三十三所観音霊場二四番札所。御詠歌は「野をもすぎ里をもゆきて中山の寺へ参るは後の世のため」。最初は奥院付近にあったと伝える。寺伝では聖徳太子の創建で観音信仰の発祥地の一所という(中山寺建立縁起)。「続日本紀」天平勝宝二年(七五〇)五月二四日条に「震中山寺、塔并歩廊尽焼」とあり、地震で発生した火災で塔などが焼けた様子が推察される。「本朝高僧伝」多武峯妙楽とうのみねみようらく(現奈良県桜井市)の経暹の項によると、当寺の良祐が多武峯安養房に宿したとき草庵全体が金色に輝き、経暹の全身は金色となって光中に安座し阿字号を得たという。経暹は寛治七年(一〇九三)同房で没したというから、良祐が多武峯を訪れたのはそれ以前であろう。本尊の十一面観音立像は平安前期の作で、足に寛元二年(一二四四)一二月六日「仏師法橋快成」の墨書(修理銘か)がある。平安後期の三井寺行尊が巡礼した西国三十三所の一一番、応保元年(一一六一)三井寺覚忠が巡礼した西国三十三所の一二番(寺門伝記補録)。天福二年(一二三四)八月日の慈源所領注文写(華頂要略)に比叡山大成就院領として仲山寺がみえる。建武二年(一三三五)二月頃後醍醐天皇中宮子の安産祈祷が他の観音霊場とともに当寺でも行われた(年月日未詳「御産御祈目録」続群書類従)

貞治二年(一三六三)清澄せいちよう寺との間で山境相論が生じたが、当寺の提出した嘉禎三年(一二三七)六月一八日付竹野大蔵丞下知状を根拠として当寺の主張が認められている(貞治二年三月一六日「佐々木道誉下知状」中山寺文書)


中山寺
なかやまじ

[現在地名]高浜町中山 サマゴ

青葉あおば山の南東麓にあり、南西麓の丹後国松尾まつのお(現京都府舞鶴市)と相対する。山号青葉山、真言宗御室派。本尊馬頭観音(坐像、国指定重要文化財)。創建時は中山寺、再興後は一乗いちじよう寺といい、近世以降再び中山寺となった。享禄三年(一五三〇)成立の縁起(当寺蔵)は「泰澄大師栖此山(青葉山)、経星霜間、麓建立精舎号中山寺、本尊者釈迦・阿弥陀・観音安置、自尓以降中絶(ママ)久矣」と泰澄開創伝承を記し、続けて「爰本願覚阿法印、不思議以寄(ママ)、再興之名一乗寺、特本尊者、馬頭明王尊像」と記している。


中山寺
なかやまじ

[現在地名]北茨城市関本町福田

里根さとね川左岸、低い山が南に張出したはずれの高台にある。朝田山来迎院と号し、天台宗。本尊は聖観世音菩薩。真壁まかべ黒子くろご(現関城町)千妙せんみよう寺末であった。度々の火災で記録類はすべて失われている。「新編常陸国誌」に関本上せきもとかみ村にあったが焼失後現在地に移ったとあり、また古棟札に「和銅元年、善道院草創、天長二年、慈覚大師建立也」とあるという。


中山寺
ちゆうせんじ

[現在地名]粉河町中山

奉玉山西方院と号し、天台宗。本尊は阿弥陀如来。「続風土記」に「古は中山の上にあり、因りて中山寺と称す、昔は伽藍地にて寺中もあり、寺領もあり、粉河寺方衆の氏寺なりしに今は纔に寺形のみ存せり、古の丸瓦一枚今に残れり、其巴の処銘文中央に中山寺、左右に永和四戊午八月上旬と凸文あり、古寺なること知るへし」とあり、粉河こかわ(現粉河町)方衆の氏寺三ヵ寺(粉河の極楽寺、猪垣の神宮寺、中山の中山寺)の一であったことが知られ、元来は粉河寺と対等であったという。


中山寺
ちゆうざんじ

[現在地名]下関市丸山町一丁目

大江おおえ山の北東にある。臨済宗南禅寺派で紫雲山と号し、本尊は十一面観音。

寺伝によれば、開基は天正年間(一五七三―九二)赤間関あかまがせきの大年寄佐甲家の祖、佐甲隼人忠為が家伝の十一面観音をこの地に安置したことに始まる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中山寺」の意味・わかりやすい解説

中山寺
なかやまでら

兵庫県宝塚市中山寺にある真言(しんごん)宗中山寺派の大本山。本尊は十一面観音菩薩(かんのんぼさつ)。山号は紫雲山(しうんざん)、通称中山観音。西国三十三所第24番札所(ふだしょ)。寺伝によれば、聖徳太子が仲哀(ちゅうあい)天皇妃大仲姫(おおなかつひめ)と香坂(かごさか)・忍熊(おしくま)の二皇子を祀(まつ)り、それに物部守屋(もののべのもりや)の霊を鎮めるため、586年(用明天皇1)に開創したという。奈良時代には三論(さんろん)、法相(ほっそう)など八宗兼学の道場であったが、寛平(かんぴょう)年間(889~898)宇多(うだ)天皇が仁和寺(にんなじ)で出家してから真言宗に属した。その後数度火災にあい、そのたびに復興した。本尊の十一面観音像は平安初期の作で、国重要文化財。そのほか大日如来坐像(にょらいざぞう)、薬師如来坐像、聖徳太子坐像(いずれも重文)などがある。境内には本堂、護摩堂、開山堂のほか遺跡も多い。毎年8月9日夜半に星下り大会式(おおえしき)が行われ、その夜、西国三十三所の観音が星になって当寺に集まるという。また当寺は安産祈願の寺としてよく知られている。

[祖父江章子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中山寺」の意味・わかりやすい解説

中山寺
なかやまでら

兵庫県宝塚市にある真言宗の寺。山号は紫雲山。西国三十三所の第24番札所。仲哀天皇の妃,大中津姫を葬った場所で,のちに聖徳太子堂舎がつくられ,十一面観音が安置された。後白河法皇の信仰が厚かった。元暦2=文治1(1185)年に戦火にかかったが,源頼朝が再興して祈願所とした。応永年間に再び炎上したが,慶長8(1603)年に豊臣秀頼が再建した。金堂,薬師堂,太子堂などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「中山寺」の解説

中山寺〔兵庫県〕

兵庫県宝塚市にある寺院。真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山。聖徳太子による開創と伝わる。本尊の十一面観音像(重文)はじめ、数多くの文化財を所蔵。西国三十三所第24番札所。子授け・安産祈願の寺として知られ、中山観音とも呼ばれる。

中山寺〔福井県〕

福井県大飯郡高浜町にある真言宗御室派の寺院。山号は青葉山。736年創建と伝わる。本尊の馬頭観世音菩薩は秘仏で、本堂とともに国の重要文化財に指定。

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事典・日本の観光資源 「中山寺」の解説

中山寺(第24番)

(兵庫県宝塚市)
西国三十三箇所」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の中山寺の言及

【宝塚[市]】より

…市内北東山中にある清(きよし)荒神(清澄(せいちよう)寺)は厄除け・開運で知られ,境内には富岡鉄斎の書画を集めた鉄斎美術館がある。西国三十三所24番札所の中山寺は安産祈願の参詣者が多い。1995年の阪神・淡路大震災では死者116名,全半壊家屋5000棟の被害を受けた。…

※「中山寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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