中御門宣胤(読み)なかみかど のぶたね

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中御門宣胤」の解説

中御門宣胤 なかみかど-のぶたね

1442-1525 室町-戦国時代公卿(くぎょう),歌人
嘉吉(かきつ)2年8月29日生まれ。中御門宣秀の父。書道にすぐれる。応仁(おうにん)の乱後に朝廷儀式の復興を目ざし,一条兼良(かねよし)らに故実,典礼をまなぶ。参議,権(ごんの)大納言歴任晩年に従一位となり,まもなく出家した。大永(たいえい)5年11月17日死去。84歳。日記に「宣胤卿記」,編著に「万葉類葉抄」など。

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367日誕生日大事典 「中御門宣胤」の解説

中御門宣胤 (なかみかどのぶたね)

生年月日:1442年8月29日
室町時代;戦国時代の歌人・公卿
1525年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中御門宣胤の言及

【中御門家】より

…(1)藤原氏北家の流れ。家格は羽林家。右大臣藤原頼宗の孫にあたる権大納言宗俊(1046‐97)を祖とし,その子藤原宗忠が中御門に居を構えたのにちなんで家号とした。宗忠の日記《中右記》は,中御門右大臣記の略である。宗忠の弟宗輔,その子伊通(これみち)は太政大臣に,また宗忠の子宗能は内大臣に補任されるなど,院政期に相次いで顕要の職を占めた。その後,鎌倉・室町時代は大納言を先途とし,室町時代の権中納言宗宣のとき以来松木を号した。…

【宣胤卿記】より

…室町中期の公家中御門(なかみかど)宣胤の日記。1480年(文明12)から1517年(永正14)に至る日次記(ひなみき)と,八朔贈答(はつさくぞうとう),渡(摂関家渡領)方南曹(勧学院)方(わたりかたなんそうかた),貢馬伝奏等引付などの写本が現存しているが,日次記は欠失部分が多い。…

※「中御門宣胤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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