朝日日本歴史人物事典 「中御門宣胤」の解説
中御門宣胤
生年:嘉吉2.8.29(1442.10.3)
室町後期の公卿。父は権大納言明豊,母は法印慶覚の娘。文安5(1448)年従五位上,右衛門佐となり,右少弁,蔵人,蔵人頭などを歴任し,文正1(1466)年参議,権中納言を経て,長享2(1488)年権大納言となる。永正8(1511)年従一位に叙せられる。同年出家,法名乗光。後花園,後土御門両天皇の蔵人頭を務めるなど信任厚く,故実・先例にも通じていた。応仁の乱(1467~77)によって衰退した朝廷の儀式の復興を目ざし,一条兼良に故実を学び,後進の育成に努めた。和歌もよくし『万葉集』の事項索引とでもいうべき『万葉類葉抄』を延徳3(1491)年に編纂している。書にも優れ,依頼に応じて揮毫している。日記『宣胤卿記』は,歌会などの諸文芸のほか,朝廷の儀式,公家経済などを知ることのできる記事が豊富で,室町後期の公家社会を考える上で貴重な史料。この時期には珍しく84歳の長寿を全うした。
(小森正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報