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中御門宣胤 なかみかど のぶたね

美術人名辞典の解説

中御門宣胤

公卿。姓藤原。明豊の子。延徳三年勅命により『万葉類葉抄』を撰定する。年を経て漸次闕巻生じたので三百年後の寛政に至り、斯学に御志深き妙法院真仁親王の思召にて、当時の浪華歌壇に学職高名の入江昌憙に命じられ九年に完結する。『宣胤卿記』二三巻を記して其の日常を詳にする。大永5年(1525)歿、84才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中御門宣胤 なかみかど-のぶたね

1442-1525 室町-戦国時代の公卿(くぎょう),歌人。
嘉吉(かきつ)2年8月29日生まれ。中御門宣秀の父。書道にすぐれる。応仁(おうにん)の乱後に朝廷儀式の復興を目ざし,一条兼良(かねよし)らに故実,典礼をまなぶ。参議,権(ごんの)大納言を歴任。晩年に従一位となり,まもなく出家した。大永(たいえい)5年11月17日死去。84歳。日記に「宣胤卿記」,編著に「万葉類葉抄」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中御門宣胤

没年:大永5.11.17(1525.12.1)
生年:嘉吉2.8.29(1442.10.3)
室町後期の公卿。父は権大納言明豊,母は法印慶覚の娘。文安5(1448)年従五位上,右衛門佐となり,右少弁,蔵人,蔵人頭などを歴任し,文正1(1466)年参議,権中納言を経て,長享2(1488)年権大納言となる。永正8(1511)年従一位に叙せられる。同年出家,法名乗光。後花園,後土御門両天皇の蔵人頭を務めるなど信任厚く,故実・先例にも通じていた。応仁の乱(1467~77)によって衰退した朝廷の儀式の復興を目ざし,一条兼良に故実を学び,後進の育成に努めた。和歌もよくし『万葉集』の事項索引とでもいうべき『万葉類葉抄』を延徳3(1491)年に編纂している。書にも優れ,依頼に応じて揮毫している。日記『宣胤卿記』は,歌会などの諸文芸のほか,朝廷の儀式,公家経済などを知ることのできる記事が豊富で,室町後期の公家社会を考える上で貴重な史料。この時期には珍しく84歳の長寿を全うした。

(小森正明)

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367日誕生日大事典の解説

中御門宣胤 (なかみかどのぶたね)

生年月日:1442年8月29日
室町時代;戦国時代の歌人・公卿
1525年没

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世界大百科事典内の中御門宣胤の言及

【中御門家】より

…(1)藤原氏北家の流れ。家格は羽林家。右大臣藤原頼宗の孫にあたる権大納言宗俊(1046‐97)を祖とし,その子藤原宗忠が中御門に居を構えたのにちなんで家号とした。宗忠の日記《中右記》は,中御門右大臣記の略である。宗忠の弟宗輔,その子伊通(これみち)は太政大臣に,また宗忠の子宗能は内大臣に補任されるなど,院政期に相次いで顕要の職を占めた。その後,鎌倉・室町時代は大納言を先途とし,室町時代の権中納言宗宣のとき以来松木を号した。…

【宣胤卿記】より

…室町中期の公家中御門(なかみかど)宣胤の日記。1480年(文明12)から1517年(永正14)に至る日次記(ひなみき)と,八朔贈答(はつさくぞうとう),渡(摂関家渡領)方南曹(勧学院)方(わたりかたなんそうかた),貢馬伝奏等引付などの写本が現存しているが,日次記は欠失部分が多い。…

※「中御門宣胤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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