中村久子(読み)ナカムラ ヒサコ

20世紀日本人名事典 「中村久子」の解説

中村 久子
ナカムラ ヒサコ

昭和期の社会活動家 高山市障害者福祉会初代会長。 見世物小屋の芸人。



生年
明治30(1897)年11月25日

没年
昭和43(1968)年3月19日

出生地
岐阜県高山市

旧姓(旧名)
釜鳴

主な受賞名〔年〕
厚生大臣表彰

経歴
3歳の時、足の霜焼けがもとで突発性脱疽となり、両手両足を失う。祖母に勉強を、母に口と腕を使う裁縫を習う。大正5年19歳の時独り立ちするため自ら見世物小屋に売られ、“だるま娘”の看板で見世物芸人の道に入る。日本各地、朝鮮満州など巡業して回り、4度の結婚により3女をもうける。昭和17年に芸人を引退してからは、婦人会、寺院、学校などに招かれ講演慰問・執筆活動を続ける。12年と23年にヘレンケラー女史と会見したほか、36年には身障者の代表として、天皇陛下拝謁を賜わる。高山市障害者福祉会の初代会長を務め、厚生大臣表彰も受けた。著書に「宿命に勝つ」「無形の手と足」「私の越えて来た道」「生きる力を求めて」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村久子」の解説

中村久子 なかむら-ひさこ

1897-1968 昭和時代の社会活動家。
明治30年11月25日生まれ。おさないとき脱疽(だつそ)にかかり両手足を切断。成人して見世物芸人となる。昭和12年来日したヘレン=ケラーと会見。その後20年余にわたり全国各地で講演,「光るだるまさん」とたたえられた。昭和43年3月19日死去。70歳。岐阜県出身。著作に「宿命に勝つ」「無形の手と足」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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