中村雄次郎(読み)ナカムラ ユウジロウ

20世紀日本人名事典 「中村雄次郎」の解説

中村 雄次郎
ナカムラ ユウジロウ

明治〜昭和期の陸軍中将,男爵 枢密顧問官;満鉄総裁;貴院議員(勅撰)。



生年
嘉永5年2月28日(1852年)

没年
昭和3(1928)年10月20日

出身地
伊勢国一志郡久居村(三重県)

学歴〔年〕
陸軍兵学寮

経歴
維新後、軍事研究のためフランス留学。明治7年帰国し陸軍参謀本部に勤務、陸軍中尉となる。陸軍士官学校及び陸軍大学校創設に関与した。21年欧州出張後、陸軍省に勤務。30年陸軍士官学校長に任ぜられる。31年第3次伊藤内閣の陸相桂太郎に認められて陸軍次官となり、35年陸軍中将。退役後、八幡製鉄所長官に就任し、37年貴院議員に勅選され、40年男爵を賜わる。大正3年満鉄総裁、6年関東都督となる。9年宮内相となったが10年免職。11年枢密顧問官となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「中村雄次郎」の解説

中村 雄次郎
ナカムラ ユウジロウ


肩書
枢密顧問官

生年月日
嘉永5年2月(1852年)

出身地
伊勢国一志郡久居村

経歴
維新後、軍事研究のためフランスに留学。明治7年帰国し参謀本部に勤務。また陸軍士官学校及び陸軍大学校の創設に関与した。30年陸軍士官学校長に任ぜられる。31年第3次伊藤内閣の陸相桂太郎に認められて陸軍次官となり、35年陸軍中将。退役後、八幡製鉄所長官に就任し、貴院議員に勅選され、40年男爵を賜わる。大正3年満鉄総裁、6年関東都督となる。9年宮内相となったが10年免職。11年枢密顧問官となった。

没年月日
昭和3年10月10日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「中村雄次郎」の解説

中村雄次郎

没年:昭和3.10.20(1928)
生年:嘉永5.2.28(1852.3.18)
明治期の陸軍軍人。三重県出身。大庄屋中村一貫の次男和歌山藩の砲兵隊から陸軍兵学寮に転じ,明治7(1874)年陸軍中尉。当初は砲兵畑を歩き,陸軍士官学校,陸軍大学校の創設に関係した。21年のヨーロッパ出張後は陸軍省勤務となり日清戦争(1894~95)時は軍務局第1課長。以後,陸軍次官などを歴任。同35年中将に昇進とともに予備役,製鉄所長官に転じた。日露戦争(1904~05)時に貴族院議員。同40年男爵。大正3(1914)年満鉄総裁となり,同6年関東都督,同9年宮内大臣を歴任。同11年からは枢密院顧問官であった。<参考文献>石井満『中村雄次郎伝』

(小池聖一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村雄次郎」の解説

中村雄次郎 なかむら-ゆうじろう

1852-1928 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)5年2月28日生まれ。紀伊(きい)和歌山藩の砲兵隊から,維新後陸軍兵学寮にうつり,軍事研究のためフランスに留学。陸軍士官学校校長,陸軍次官,陸軍総務長官を歴任。陸軍中将。のち貴族院議員,満鉄総裁,宮内相,枢密顧問官をつとめた。昭和3年10月20日死去。77歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中村雄次郎」の解説

中村 雄次郎 (なかむら ゆうじろう)

生年月日:1852年2月28日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。中将;男爵
1928年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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