中江村(読み)なかえむら

日本歴史地名大系 「中江村」の解説

中江村
なかえむら

[現在地名]京北町大字中江

山国やまぐに九ヵ村の一。大堰おおい川上流左岸にある山間集落。対岸はつじ村・とう村・鳥居とりい村、川を下るとしも村に達する。集落の裏山に中江古墳群がある。古代は「和名抄」に記す山国郷に属し、中世は山国庄本郷(山国杣)内八ヵ村に含まれる。

村名の初見は宝徳三年(一四五一)八月一〇日付の山国惣庄山地寄進状写(井本昭家文書)で、山国惣庄の古老の一人として「中江村小畠左近」と記される。当村の名主西家は弘安六年(一二八三)頃采女部の官職名を名乗り、永享五年(一四三三)には丹波為守が治部丞に、永正一四年(一五一七)には丹波国親が治部丞に任ぜられた口宣案(西八家文書)がある。

中江村
なかえむら

[現在地名]平村東中江ひがしなかえ

下出しもで村から北へ登り坂一つの平坦地に位置する。東は高草嶺たかそうれい村、西は庄川まで傾斜地、北東は入谷いりたに村。集落中央に湿田がある。寛永七年(一六三〇)の高五四石余、免五ツ八歩三厘(高・免とも幕末まで変化なし)、定納金子一両三分余・塩硝代金子一匁余(「検地見図帳並免定目録」川合家文書)正保郷帳では中江村・入谷村が併記され、合せて高一五八石余、田方九反余・畑方九町六反余。明暦二年(一六五六)の当村の高五四石余、同年以後、納所金子一三両二匁三分余・塩硝役金子四匁一分余・手上金子二匁九分余、蝋・漆・蓑・紙役金子三匁六分余、計一五両四匁三分余を課せられており、この代銀七四三匁余を夏成・冬成の両度に納めた(天保一〇年「草高免付百姓数品々帳」利賀村公民館蔵)

中江村
なかえむら

[現在地名]倉吉市中江

新田しんでん村の北、天神川左岸に位置し、北は大塚おおつか村。拝領高は六五一石余、本免五ツ九分。黒田氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高八〇〇石余、竈数五〇余。荒神二社・牛頭天王、一向宗本経寺(現本教寺)を記す。幕末の六郡郷村生高竈付では生高八一七石余、竈数五三。藪役銀一八匁・川役銀二匁を課されていた(藩史)。明和元年(一七六四)倉吉御蔵の火消人夫の割替えがなされ、当村から一人が出役することとなった(在方諸事控)。真宗大谷派の専修山本教ほんきよう寺がある。京都東本願寺一二世教如のときに建立されたという。

中江村
なかえむら

[現在地名]波野村中江

おぎ(八四三・二メートル)の麓に開け、東は豊後国竹田領、西は高柳たかやなぎ村・波野村、北は滝水たきみず村、南は仁田水にたみず村に接する。文明一六年(一四八四)八月二八日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(阿蘇家文書)に「一所なかゑほんめ とまり」とあり、初穂米収納使が宿泊するため最花米分の上納が免除されている。室町期と思われる阿蘇山用途未進分注文(西巌殿寺文書)では、「上野里分」のうちに御嶽用途分として当地が納所すべき銭八五〇文のうち四五〇文が未進となっている。

中江村
なかのごうむら

[現在地名]根上町中ノ江町

二口ふたくち村の南に位置。もと集落は現在地より北西にあったが、水難を避け現在地へ移住したと伝える(根上町史)。元禄一五年(一七〇二)の絵図(県立図書館蔵)によると手取川とかけはし川のちょうど中間に東から中江村・下江村と並んでいる。かつては中江村の東に上江村があったと伝えるが、上江村の名は正保郷帳にみえずこの絵図にも記載がない。江戸時代初期に二口村に移り住んだものとみられるが、「皇国地誌」に当村の字名としてかみがみえ、一部は中江村へも移住したと思われる。

中江村
なかのごうむら

[現在地名]福光町中ノ江

川合田かわいだ村の南、明神みようじん川西岸にある。村名は中之江・中ノ江とも記され、なかのご・なかのえともよばれる。もとは西方法林寺ほうりんじ村からの分村で、明神川と西方から流れる同川支流法林寺川との中間にあったことから村名がつけられたという。元和五年(一六一九)の家高新帳に「中之江」とみえ、広瀬組に属し、役家数六。正保郷帳では高三六五石余、田方二三町余・畑方一町三反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三八九石、免五ツ一歩、小物成は山役三八匁(三箇国高物成帳)

中江村
なかえむら

[現在地名]熊本市中江町

白川左岸に沿い、東と南は合志こうし郡大津手永の石原いしわら村、西は大津手永の吉原よしわら村、北は飽田あきた郡五町手永の弓削ゆげ村である。本庄手永に属し、宝暦一三年(一七六三)の下ケ名寄帳によると惣畝数五町七反四畝余・高六六石八斗余。同年の地引合帳によると中根新左衛門の御給知で、田五町二反三畝余・高六二石五斗余、畑五反一畝余・高四石三斗余である。寛政五年(一七九三)の下ケ名寄帳では惣畝数七町六畝余、うち御給知は田畑五町七反四畝余・高六六石八斗余で、ほかは新地野開などである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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