中渡村(読み)なかわたりむら

日本歴史地名大系 「中渡村」の解説

中渡村
なかわたりむら

[現在地名]鮭川村中渡

真木まき村の西、蛇行しながら東流する羽根沢はねさわ川の流域に位置し、同川右岸の本郷のほか新田本村鑑は枝郷として左岸清水田野しずたの楯向たてむかい(幕末に廃村)、および西隣の小和田こわだ村をあげる。元和(一六一五―二四)以前、荒木伊佐衛門が下総国から百姓二八人を連れて下向、当地を開いたといわれる(「増訂最上郡史」など)。その後、荒木家が代々庄屋を勤めた。元和八年の御前帳写では「中渡り」とみえ高一〇一石余。寛永一一年(一六三四)の田方検地帳(荒木文書)が残る。一筆ごとに地字・刈高・取米・作人名をあげる形式は、おおむね最上氏時代のものを踏襲、作人の所持高は刈高表示であるが、村高は石高表示となっている。


中渡村
なかわたむら

[現在地名]大利根町中渡

渡沼わたぬま村の北に位置し、村の北東利根川が流れ、水除堤がある。北東に渡良瀬わたらせ川との合流点がある。村名は、利根川に元栗橋もとくりはし(現茨城県五霞村)・中渡・本川渡の三ヵ所の渡船場があったときの名に由来するという(風土記稿)。中渡は、寛永八年(一六三一)の利根川通渡場定書(竹橋余筆)の所付に記載される。田園簿には中渡新田とみえる。なお、「風土記稿」は村名に「ナカワタリ」とかなをふっているが、「武蔵志」「郡村誌」、現在の字名とも「ナカワタ」である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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