中通村(読み)なかとおむら

日本歴史地名大系 「中通村」の解説

中通村
なかとおむら

[現在地名]琴南町中通

土器どき川上流沿いの低地大川だいせん山の山麓高地に位置する。源平合戦の時に源義経の命を受けた一隊が、両側の林を避けて真ん中の川原を通り抜けて屋島やしまに向かったので、中通と名付けたという。阿波に至る東の大坂越と西の曼陀まんだ越に対して中の通りの意味で中通とよばれたのではなかろうか。寛永国絵図では、造田そうだ内田ないでん・中通・勝浦かつうらなど一一村を合せて中通郷として高付され、高七五九石余。平地が少なく、険しい周囲の山々は岩肌が露出している所が多くて新開が困難であったが、元禄(一六八八―一七〇四)頃から小面積の切添新田が開かれて、文化二年(一八〇五)の村高は三八一石余(畑方三〇四石余・田方七六石余)とある(「中通村順道帳」堀川文書)。田方の灌漑地下清じげぎよ池などの四つの小溜池と、土器川の本支流に設けられた一六ヵ所の横井からの水に依存していた(池泉合符録)


中通村
なかどおりむら

[現在地名]北条市中通

恵良えりよう山・腰折こしおれ山の南麓に立地する集落で、南を立岩たていわ川が西流する。東は上難波かみなんば村、南は八反地はつたんじ村・中西内なかにしうち村、西は北条村・下難波村、北は浅海原あさなみはら村に接する。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)風早かざはや郡の項に「中通村 林山有」とみえ、村高は七〇五石九斗四升一合、うち田方六四三石四斗二升一合、畑方六二石五斗二升とある。以後ほとんど変化なく、天保郷帳で一石余の増加をみるにすぎない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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