日本歴史地名大系 「中道町」の解説 中道町なかみちまち 山梨県:東八代郡中道町面積:二一・〇二平方キロ甲府盆地の南部、東八代郡の西部に位置する。北は笛吹川を境に甲府市、西は七覚(しつかく)川を境に豊富(とよとみ)村、南は御坂(みさか)山地支脈中の主峰滝戸(たきど)山(一二二〇・八メートル)、日陰(ひかげ)山(一〇二五・三メートル)などの分水嶺を境に西八代郡三珠(みたま)町・上九一色(かみくいしき)村、芦川(あしがわ)村と接し、東は境川(さかいがわ)村。南部の山地は急傾斜をなし、地内過半を占める曾根(そね)丘陵につながる。北端部は河岸低平地で、平地と接する丘陵前縁部には、東西に小円丘が並ぶ。日陰山西方の右左口(うばぐち)峠を中心とした山系からの沢水は北西流して七覚水系を形成。滝戸山を中心とした山系からの沢水を集める滝戸川はほぼ中央を流れ、下流の低地で七覚川と合流する。低平地北東部には、丘陵部から間門(まかど)川・芋沢(いもざわ)川・狭間(はざま)沢が流れる。町内の遺跡は、曾根丘陵を構成する東(ひがし)山の周辺に集中的にみられ、甲斐風土記の丘もここに置かれている。旧石器時代の立石(たていし)遺跡は甲府盆地周辺において最古級の石器群を出土している。このほか同時代の遺跡として米倉山(こめくらやま)A遺跡などがある。縄文時代の遺跡も丘陵上に多く分布するが、とりわけ右左口の上野原(うえのはら)遺跡は県内でもいち早く中期集落の概要が把握されたことで知られている。下向山の上(しもむこうやまのうえ)の平(だいら)遺跡も前期末から中期にかけての一大集落跡であった。弥生時代では比較的早い段階のものとして米倉山山頂部の菖蒲池(しようぶいけ)遺跡がある。弥生後期から次の古墳時代へ連続する時期には、東山一帯を中心に多くの遺跡が知られる。 中道町なかみちまち 愛知県:名古屋市熱田区宮宿中道町[現在地名]熱田区神戸(ごうど)町伝馬(てんま)町の南の筋。神戸町の中程より東へ出来町(できまち)小路まで、町の長さは南側で一七〇間半余、北側で二一七間余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by