久世保(読み)くせほ

日本歴史地名大系 「久世保」の解説

久世保
くせほ

和名抄大庭おおば久世郷の郷名を継ぐものか。久世を遺称地とし、旭川目木めき川が合流する平野部一帯に推定される。大炊寮領殿上熟食米料所の便補の保。正応五年(一二九二)八月一〇日の関東下知状(写、多田院文書)は、御家人久世頼連と大炊寮領雑掌との相論につき、頼連に本所進止の下司・公文両職を安堵する決定をしたものであるが、それによれば久世氏は文治五年(一一八九)の奥州藤原氏攻めに際し曾祖父貞平が美作守護梶原景時の軍兵注文に記入されて以来の御家人であった。同氏は美作国土着の武士で当地を名字の地としたと考えられ、美作には当保以外には大炊寮領はなかったことから、この相論は当保に関するものと考えられる。なお承久の乱の勲功の賞として当保が富永資村(諸家系図纂)、あるいはその従兄惟時(伴氏系図)に与えられたという。

暦応二年(一三三九)七月二日に久世保未進年貢のうち三〇貫文、二〇日に残り二〇貫文が大炊寮頭中原師右に進納されている。二六日、光厳上皇は中原家に対して殿上熟食米半分の納入を免除する代りに、当保を中原家より没収して下司・公文に与え、熟食米半分を納入させることとした。貞和元年(一三四五)一〇月二四日、本来のように勤仕するならば返付するとの話があったが、下司・公文の二人が返還するというのは納得できないので、暦応の決定どおりとすることを申入れ認められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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