日本歴史地名大系 「久世保」の解説
久世保
くせほ
「和名抄」
暦応二年(一三三九)七月二日に久世保未進年貢のうち三〇貫文、二〇日に残り二〇貫文が大炊寮頭中原師右に進納されている。二六日、光厳上皇は中原家に対して殿上熟食米半分の納入を免除する代りに、当保を中原家より没収して下司・公文に与え、熟食米半分を納入させることとした。貞和元年(一三四五)一〇月二四日、本来のように勤仕するならば返付するとの話があったが、下司・公文の二人が返還するというのは納得できないので、暦応の決定どおりとすることを申入れ認められた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報