久岐今福御厨(読み)くきいまふくのみくりや

日本歴史地名大系 「久岐今福御厨」の解説

久岐今福御厨
くきいまふくのみくりや

現今福付近に比定される皇室領の御厨。貞応三年(一二二四)八月一〇日の宣陽門院所領目録(島田文書)に、上西門院の「新御領」の一つとして「摂津国久岐今福御厨」とみえる。上西門院は鳥羽法皇の第二皇女で、久安元年(一一四五)に母待賢門院の遺領法金剛院領を相伝したが、それ以外にも自分の獲得した新御領を領有しており、文治五年(一一八九)彼女が死ぬと、それらは後白河法皇が管掌し長講堂領となったが、建久三年(一一九二)法皇死去により皇女宣陽門院が相続するに至った。したがって上西門院の新御領である当御厨の成立は、少なくとも一二世紀中葉頃までさかのぼることができる。正元二年(一二六〇)四月六日付の摂津守中原師藤の申請雑事八箇条(「妙槐記」文応元年四月一三日条所引)の一ヵ条に、「神崎浜崎、杭瀬、今福、久岐」の要津に居住している寄人らが権門勢家の権威を募って国役を勤仕しない旨を指摘している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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