(1)平安時代以来,朝廷の官衙である記録所・御書所・和歌所,院文殿(いんのふどの),後院や,鎌倉幕府の公文所・政所・問注所,室町幕府の政所・問注所・侍所などにおかれた職員のこと。和歌所寄人は和歌の選定をつかさどり,召人(めしうど)と呼ばれたが,それ以外の寄人は事務能力に熟達したものが選ばれており,庶務,執事などを担当した。幕府関係の寄人は,問注所寄人が問注所公人(くにん)とも呼ばれたように,公人とも呼ばれていた。
(2)平安中・後期の荘園における農民の一つの存在形態を示す呼称で,一般的には,自分が耕作している土地の領主(公領を含めて)と異なる領主に人身を隷属させているという,二元的な性格をもった農民をいう。しかし,このような性格の寄人が現れるのは11世紀以後のことで,10世紀の寄人は,その初見である951年(天暦5)の太政官符案にみえる醍醐寺領伊勢国曾禰荘の場合も含めて,公民が臨時雑役の免除という特権を得て特定の荘園の荘民化したことを示している例がほとんどである。国衙は荘田を免田として,荘民を寄人として認可したのである。寄人の臨時雑役免除という特権は,他の公民たちが争って望むところとなり,11世紀後半以降公田を耕作しながら近隣の荘民の縁をたよって寄人化し,臨時雑役や国役の免除を主張するものが多く現れた。一方,荘園領主も寄人化した公民を巧みに利用し,彼らの公田をも荘園化しようとしたため,寄人問題は国衙と荘園領主との間の大きな問題となった。このような関係は荘園間にも生じ,異なった領主に二重,三重に隷属する荘民=寄人も現れ,複雑な隷属関係は支配者層にとって重要な問題となった。院政期の荘園整理令の中に,たびたび寄人停止の条目がみられるのは,土地と人とを一体的に支配しようとする支配者層の意図の反映である。したがってこの一体的把握が進展する中で,この種の寄人という用語は消滅していく。
(3)平安中期以降,特に中世後期にみられる用語で,商工業者等の隷属者を示す。本来的には(2)と同じように,特定の職業を通じてどこかの権門に隷属し課役を免れようとしたもので,職業,権門の性格などから神人(じにん),供御人(くごにん),散所雑色(ぞうしき)(散所)などとも呼ばれる。土地との一体性が薄く,その職業がら,複数領主への隷属も存在しえたので,寄人という言葉が残存したと考えられる。室町期以降の寄人はほとんどの場合,この意味での寄人である。
執筆者:木村 茂光
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(1)平安から室町時代にかけて、朝廷の官衙(かんが)である記録所(きろくじょ)、和歌所(わかどころ)、御書所(ごしょどころ)や院の文殿(ふどの)、また鎌倉・室町幕府の政所(まんどころ)、問注所(もんちゅうじょ)、侍所(さむらいどころ)、地方奉行(じかたぶぎょう)などに置かれた職員の名称。明法(みょうぼう)・文章道(もんじょうどう)をつかさどる下級官僚出身者が多く、管轄事務に優れていた。なお和歌所の寄人は召人(めしうど)ともよばれた。(2)国衙(こくが)領・荘園(しょうえん)において、身柄を官衙、貴族、寺社に属した有力農民で、属した権門(けんもん)によって大膳職陶器(だいぜんしきすえき)寄人、大歌所十生供御人(おおうたどころじゅうしょうぐごにん)、院の召次(めしつぎ)、摂関家大番舎人(おおばんとねり)、神人(じにん)などとよばれた。所当官物(しょとうかんもつ)・年貢は国衙、荘園領主に出すが、雑公事(ぞうくじ)は免除され、代償として属した権門に主として非農業部門の奉仕を行った。このような寄人の出現は、平安末期から畿内(きない)近国を中心にしておこった有力農民層の「神人・寄人化闘争」の結果によるものである。これは国衙、荘園領主、在地領主などの支配強化に対抗して、有力農民層が他の権門の寄人、神人となることにより自立化を目ざしたものである。(3)「寄作人(きさくにん)」のことで、荘園領主に招集され、荘園の耕作や未墾地の開発を行った。
[山田安利]
1朝廷では後院・記録所・御書所・和歌所・院文殿(いんのふどの)に,武家政権では政所(まんどころ)・侍所・問注所におかれた職員の称。上卿(しょうけい)や別当・執事の指揮のもとで,評定によって荘園整理(記録所),訴訟審理(記録所・院文殿・問注所),和歌選定(和歌所)などを行った。
2平安時代,国衙から公田を請作し官物を負担する田堵(たと)でありながら,荘園領主に人的に隷属し所役を奉仕した荘民。11世紀中葉以降,荘園領主の権威を背景に請作公田の荘園化を推進した。
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…この動きの背景には,田畠に対する平民の権利の強化・安定があったのであり,しだいに動揺・形骸化する荘園公領制のもとに,新たな自治的な村落が成長してくるのである。
【職人】
このような平民に対し,みずからの身につけた職能を通じて,天皇家,摂関家,仏神と結びつき,供御人(くごにん),殿下細工,寄人(よりうど),神人(じにん)などの称号を与えられて奉仕するかわりに,平民の負担する年貢・公事課役を免除されたほか,交通上の特権などを保証され,その一部は荘園・公領に給免田畠を与えられることもあった職能民を,ここでは職人と規定しておく。
[遍歴する非農業民]
中世社会には農業以外の生業に主として携わる非農業民(原始・古代以来の海民,山民,芸能民,呪術的宗教者,それに商工民など)が少なからず生活していた。…
…また公民の籍帳から外れた浮浪人も平民とはみなされなかったが,浮浪帳に編付され調庸を負担している浮浪人は,弘仁年間(810‐824)の太政官符により水旱不熟の年には平民に準じて調庸が免除されることになった。やがて籍帳による支配の崩壊にともなって公民と浪人の区別がなくなり,公田を請け負って経営する大小の田堵(たと)百姓らが一般に公民,平民と呼ばれるに至り,荘民・寄人(よりうど)や下人(げにん)・所従(しよじゆう)との区別が生まれてくる。寛徳・延久の荘園整理令(1045,69)は公民の荘民化について,〈平民おのれを顧みる者〉とか〈恣(ほしいまま)に平民を駈(か)り〉と述べ,また荘園側も〈平民に準じて方々色々の雑役を充て責める〉,荘民は〈平民公田の負名ではない〉と反論したことにみられるように,当時の平民は荘民と区別された公民を意味した。…
…後者の場合は前者の一部分,すなわち御前奉行を指す。また右筆各人は政所,侍所,神宮方,地方(じかた)などの各部局にも配属され,〈政所寄人(よりうど)〉などと称されて区別された。要するに彼ら奉行人は,機会に応じて意見機関に集められるとともに,平常は各部局の寄人としての地位を保っており,執事代,開闔が彼らの到達しうる最高ポストであった。…
※「寄人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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