久連村(読み)くれむら

日本歴史地名大系 「久連村」の解説

久連村
くれむら

[現在地名]江府町久連

北流から北西流に流れを変える日野川西岸に位置し、対岸佐川さがわ村・小江尾こえび村・江尾えび村。村域はほとんど山地で、集落は日野川沿いの平地に形成される。日野往来の西岸路が南北に走る。正保国絵図に暮村とみえる。村名は榑材を出したことにちなむという(日野郡史)。拝領高は八七石余、本免は六ツ一分。安永二年(一七七三)当時は安養寺氏の給地で、物成は一一〇石(在方諸事控)幕末の六郡郷村生高竈付では生高一五五石余、竈数二九。「伯耆志」では家数二九・人数一六〇。藪役一二匁三分・川役三匁が課されていた(日野郡史)


久連村
くづらむら

[現在地名]沼津市西浦久連にしうらくづら

木負きしよう村の西に位置する。北は海(内浦湾)に面して、なか沢などの小流が注ぐ。西は立保たちぼ村。天文六年(一五三七)六月二五日北条家は豆州久連先得せんとく(現臨済宗円覚寺派先得寺)の諸役を免許している(「北条家朱印状」先得寺文書)。天正一八年(一五九〇)四月の豊臣秀吉掟書(長浜大川文書)に西浦庄内として「くすら郷」とみえる。江戸時代は初め幕府領、享保一三年(一七二八)陸奥棚倉藩領となる。天明年間(一七八一―八九)相模小田原藩領となり、同領で幕末を迎えた(延享四年「内浦組村々知行高附書上帳」豆州内浦漁民史料、「韮山町史」など)。「増訂豆州志稿」に「村、海浜ナレドモ漁少ナシ」と記されるように漁業は盛んではなく、古来山稼をもっぱらとし、建網漁は近代に入ってから始められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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