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亀ヶ崎城 かめがさきじょう

日本の城がわかる事典の解説

かめがさきじょう【亀ヶ崎城】

山形県酒田市にあった中世から江戸時代にかけての平城(ひらじろ)。国指定史跡。大宝寺武藤氏がたびたび離反する砂越氏を討伐するために1478年(文明10)に築いた東禅寺城がその始まり。安土桃山時代から江戸時代の初めにかけて波乱の歴史を記した城の一つである。大宝寺武藤氏の武将の前森蔵人義長は、主家の武藤(大宝寺)義氏が越後の上杉氏の支援を得て強権的な政治を行ったことに反発し、庄内の領有をめざした山形城の最上義光の策謀で庄内に内乱が起こると、主君の義氏を討って東禅寺城主となり、東禅寺筑前守義長を名乗った。これをもって亀ヶ崎城は最上方の城となった。しかし、1588年(天正16)の十五里ヶ原の戦いで、最上氏は大宝寺武藤氏と上杉氏の連合軍に敗れ、この戦いで城主の東禅寺筑前守は戦死。庄内は本荘繁長の支配を経て上杉領となり、同城も上杉家の城となった。1600年(慶長5)、関ヶ原の戦いと連動して起こった慶長出羽合戦において、上杉勢は関ヶ原で西軍が敗北したことから庄内から撤退、東禅寺城主の志駄義秀はその後も抵抗を続けたが、翌年4月に城を明け渡して米沢に撤退して最上氏の城となり、最上義光は東禅寺城に志村光安を配した。また、義光は1603年(慶長8)、酒田港に巨大な亀が上陸したことを吉兆として、東禅寺城を亀ヶ崎城と改名した。1622年(元和8)の最上氏改易後、徳川譜代の酒井忠勝が庄内藩主となり鶴岡(鶴ヶ岡城)に居城を置いたが、一国一城令後も亀ヶ崎は城としての存続が認められ、江戸時代を通じて城代が置かれた。明治に入り、亀ヶ崎城には酒田県庁が置かれたが、合併して山形県ができると城は解体された。現在、城跡は酒田東高校の敷地や宅地になっており、土塁の一部が残っている。また、近隣の円通寺の山門は、同城の搦手門を移築したものだといわれている。JR羽越本線酒田駅から徒歩約20分。◇東禅寺城、酒田城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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