二本松義継(読み)にほんまつよしつぐ

改訂新版 世界大百科事典 「二本松義継」の意味・わかりやすい解説

二本松義継 (にほんまつよしつぐ)
生没年:?-1585(天正13)

戦国末期の武将陸奥二本松城主。戦国争乱の中で当時米沢にいた伊達氏と対立し,会津蘆名氏と結ぶ。1585年,伊達輝宗・政宗父子は二本松城にせまり,義継はみずから輝宗の陣営を訪れて服属を願ったが,その帰途,輝宗を捕らえて二本松城に連れ去ろうとし,政宗の追撃をうけ,阿武隈河畔高田原で輝宗とともに死す。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二本松義継」の解説

二本松義継 にほんまつ-よしつぐ

1553-1585 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)22年生まれ。畠山義国の次男。陸奥(むつ)二本松城(福島県)城主隣国の伊達氏とあらそい,伊達輝宗(政宗の父)を人質にとって逃走したが,天正(てんしょう)13年10月8日阿武隈(あぶくま)河畔で輝宗もろとも政宗に殺された。33歳。

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世界大百科事典(旧版)内の二本松義継の言及

【二本松[市]】より

…しかし地名として二本松が散見するのは戦国時代以後である。1586年(天正14),二本松義継の子義綱が本城に火を放って会津に走り,90年豊臣秀吉の奥州成敗の後,蒲生氏,上杉氏が支配した。松下氏(5万石),加藤氏(3万石)の領地を経て,1643年(寛永20)丹羽光重が白河より10万0700石で入部,城郭の大修築が行われて霞ヶ城とよばれた。…

※「二本松義継」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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