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二本松義継 にほんまつ よしつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二本松義継 にほんまつ-よしつぐ

1553-1585 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)22年生まれ。畠山義国の次男。陸奥(むつ)二本松城(福島県)城主。隣国の伊達氏とあらそい,伊達輝宗(政宗の父)を人質にとって逃走したが,天正(てんしょう)13年10月8日阿武隈(あぶくま)河畔で輝宗もろとも政宗に殺された。33歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

二本松義継

没年:天正13(1585)
生年:天文22(1553)
戦国末の武将。奥州管領畠山国氏の子孫で,二本松(畠山)義国の子。右京大夫。陸奥国安達郡二本松城主として北境の伊達氏との緊張に終始。伊達氏の麾下に属し,天正10(1582)年伊達輝宗の相馬攻めには姻戚関係の塩松城主大内定綱と共に参陣。その後,定綱と共に佐竹,蘆名連合勢力に加担し,伊達氏と対立。13年定綱が小浜城から敗走するに至り,条件付きで降伏を申し入れたが政宗は許さず,10月義継はこれに屈服し,服属を斡旋した輝宗に礼を表するため宮森城を訪問。帰り際,輝宗を拉致したため,阿武隈川岸で伊達勢に銃撃され,輝宗と共に死去。没年33歳。位牌は宝樹寺(福島市)。

(伊藤清郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

にほんまつよしつぐ【二本松義継】

?‐1585(天正13)
戦国末期の武将。陸奥国二本松城主。戦国争乱の中で当時米沢にいた伊達氏と対立し,会津の蘆名氏と結ぶ。1585年,伊達輝宗・政宗父子は二本松城にせまり,義継はみずから輝宗の陣営を訪れて服属を願ったが,その帰途,輝宗を捕らえて二本松城に連れ去ろうとし,政宗の追撃をうけ,阿武隈河畔の高田原で輝宗とともに死す。【今野 真】

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世界大百科事典内の二本松義継の言及

【二本松[市]】より

…しかし地名として二本松が散見するのは戦国時代以後である。1586年(天正14),二本松義継の子義綱が本城に火を放って会津に走り,90年豊臣秀吉の奥州成敗の後,蒲生氏,上杉氏が支配した。松下氏(5万石),加藤氏(3万石)の領地を経て,1643年(寛永20)丹羽光重が白河より10万0700石で入部,城郭の大修築が行われて霞ヶ城とよばれた。…

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