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二階堂行藤 にかいどうゆきふじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

二階堂行藤
にかいどうゆきふじ

[生]寛元4(1246)
[没]乾元1(1302)
鎌倉時代末期の武将。行有の子。法名,道我。永仁1 (1293) 年幕府政所執事に就任。正安3 (1301) 年出家し,同年東宮儲嗣問題解決のため,幕使として上洛した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二階堂行藤 にかいどう-ゆきふじ

1246-1302 鎌倉時代の武将。
寛元4年生まれ。二階堂行有の子。鎌倉幕府の政所(まんどころ)執事,越訴(おっそ)奉行,引付頭人を歴任した。正安(しょうあん)4年8月22日死去。57歳。法名は道暁,のち道我。

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朝日日本歴史人物事典の解説

二階堂行藤

没年:正安4.8.22(1302.9.14)
生年:寛元4(1246)
鎌倉幕府の 政所執事。二階堂行有の子。弘安5(1282)年引付衆となる。同年検非違使六位尉。同11年,大夫尉。正応1(1288)年出羽守。同3年3月,浅原為頼の乱により,幕府の使節として上洛。永仁1(1293)年政所執事となる。同3年には評定衆,寄合衆の在任が確認される。同6年,越訴奉行を兼任。正安1(1299)年には,引付五番頭人となる。同3年出家,法名を道暁,のちに道我と改める。<参考文献>佐藤進一「鎌倉幕府職員表復原の試み」(『中央大学文学部紀要/史学科篇』28~30,32号)

(永井晋)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

にかいどうゆきふじ【二階堂行藤】

1246‐1302(寛元4‐乾元1)
鎌倉後期の文官。幕府評定衆行有の子。1293年(永仁1)政所執事となり,98年に越訴奉行,99年(正安1)には五番引付頭を兼ねた。90年(正応3)の浅原為頼による伏見天皇殺害未遂事件や1301年の後伏見天皇譲位問題に代表される皇位継承をめぐる2皇統の抗争に対して,幕府の使者として交渉にあたった。01年8月出家。法名道暁,のち道我。【青山 幹哉】

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