出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(佐藤和彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
鎌倉後期の武士。通称八郎。甲斐源氏(かいげんじ)小笠原(おがさわら)氏の支族。強弓大力の武士で、1290年(正応3)3月10日早朝、一族郎従を率いて宮中に乱入し、伏見(ふしみ)天皇を殺害しようとして果たさず、清涼殿で自殺した。為頼が事を起こした動機は明らかでないが、大覚寺(だいかくじ)、持明院(じみょういん)両統の抗争に絡むものとの見方がある。当時も皇位継承に不満をもつ大覚寺統の亀山(かめやま)法皇がこの事件に関係ありとのうわさが流れたが、法皇は幕府に、事件に関係がない旨の誓紙を入れて、事なきを得た。
[新田英治]
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