五所川原須恵器窯跡(読み)ごしょがわらすえきかまあと

国指定史跡ガイド 「五所川原須恵器窯跡」の解説

ごしょがわらすえきかまあと【五所川原須恵器窯跡】


青森県五所川原市持子沢にある平安時代の須恵器(すえき)窯跡。同種遺跡としては国内最北。津軽平野の北東縁、標高約35mから200mの丘陵地帯にあり、東西約3.5km、南北約5kmの範囲にわたって約50基が点在する。1967年(昭和42)、林道建設工事の際に発見されて以来、発掘調査が数度にわたって行われ、鎌倉時代のものであるとする説もあった。1997年(平成9)、土地造成中に見つかった犬走(いぬばしり)窯跡の発掘調査を契機に行った詳細な調査の結果、窯の分布状況と展開過程の概略が判明し、西側にあり平野に面している原子(はらこ)支群、南側にあり持子沢(もつこざわ)沿いにある持子沢支群、東北側にあり前田野目(まえだのめ)川両岸に広がる前田野目支群から構成されていることがわかった。2004年(平成16)、保存状態の良好な13基が国の史跡として指定された。窯は小さな尾根の先端部に築かれた、1基あるいは2基の窖窯(あながま)(急斜面を利用したトンネル状の窯)で、食膳具としては杯を中心に皿、蓋をわずかに作り、長頸瓶(ちょうけいへい)、鉢、壺、甕などの貯蔵具も作った。ほとんどのものに「神」「六」「千」など、ヘラで刻まれた文字や記号が見られ、遺跡の大きな特徴となっている。出土したものからみて、原子支群と持子沢支群が相対的に古く、前田野目支群が新しいと考えられる。胎土(たいど)は鉄分を多く含み、器の表面は暗青灰色、中は暗赤色で総じて硬質に焼成され、須恵器は青森県内のみならず、秋田県、岩手県の北部、北海道の道南・道央地方に多量に流通し、道東・道北にも達している。これらは朝廷支配が及ばなかった地域であり、9世紀後半以降、集落が急増した津軽地方の人々の生産と流通を理解するうえでこの遺跡は貴重である。JR奥羽本線大釈迦駅から車で約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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