出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
民謡の曲名。熊本県球磨(くま)郡五木村で子守奉公に出された娘たちが、背中の赤ん坊をあやしながらわが身を嘆いて歌ってきたもの。源流は不明であるが、この地方の農作業唄で、「甚句(じんく)」を臼唄(うすうた)にでも利用したものの再利用と思われる。五木では、江戸時代末には33軒の地頭(旦那(だんな)ともよばれる)が村を支配しており、一般の村人は名子(なご)とよばれ、地主と小作人の関係を結んでいたことから、娘を子守奉公に出すことは、なかば義務づけられていた。歌詞と節のもの悲しさに興味が集まり、1951年(昭和26)古関裕而(こせきゆうじ)(1909―1989)編曲のものがNHK熊本局から「お休みの前に」で連日放送されて各地で歌われだし、1953年に照菊(てるぎく)の唄で全国に広まった。
[竹内 勉]