五箇山道
ごかやまみち
礪波平野から五箇山に入り、飛騨国へ通ずる街道で、幾つかのルートがあった。正保四年(一六四七)の「越中道記」は、北陸街道(巡見使道)から分岐して五箇山へ向かう道として、中田町(現高岡市)より飛騨国羽根村(現岐阜県河合村)へ出る道と、中之宮村(現高岡市)より城端町を通り飛騨小白川村(現岐阜県白川村)へ出る道を記載する。前者は井波町から五箇山へ入り、仙納原大橋を渡り、草嶺倉村・下百瀬川村・水無村(以上、現利賀村)を経て飛騨国境から羽根村へ至る。後者は城端町・大鋸屋村(現城端町)より小瀬峠を越えて西赤尾町村(現上平村)へ出て、飛騨国境より小白川村への道である。「三州地理志稿」は前者の井波・羽根間の道を若干道筋が異なるもの羽根村間道と記載し、後者の城端・小白川間の道を飛州小白川村間道と記す。この二つの道筋が五箇山道の中心的なもので、本巻は前者の井波町からの道を利賀道(羽根道)とし、後者の城端町からの道を五箇山道(飛州小白川村間道)とした。
両道のほか「越中道記」は、井波町より大牧村(現利賀村)・祖山村・籠渡村・島村(現平村)、細島村から成出村(以上、現上平村)への庄川東岸をたどり飛騨へ抜ける道も記し、また「三州地理志稿」は羽根村間道に加えて西赤尾町道も記載する。西赤尾町道は福光町から刀利村(現福光町)よりブナオ峠を越えて西赤尾村に至る道である。同街道は刀利村から加賀国横谷村(現石川県金沢市)へ折れて、湯涌村(現同上)を経て金沢城下にも出られ、さらに西赤尾町村からは飛騨の白川(現白川村)、高山町を経由して、信州松本を経て江戸にも出られた。このため西赤尾町道は加賀藩にとって重要な江戸への近道であり、「増補大路水経」は金沢・刀利・西赤尾町の道を飛州陰道と記している。また「三州地理志稿」には登場しないが、城端町より朴峠を越えて下梨村(現平村)へ出る道もよく利用された。
五箇山道の道筋を「三州地理志稿」によって詳しく記すと、飛州小白川村間道は城端町より大鋸屋村・二ッ屋村(現城端町)を経て小瀬峠を越え、漆谷村・新屋村から西赤尾町村へ出て、同村からは打越村(以上、現上平村)より境川を境とする飛越国境に至り、籠渡しを利用して渡河し小白川村に入った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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