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城端 じょうはな

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

城端
じょうはな

富山県南西部,南砺市中央部の旧町域。砺波平野南端に位置する。 1952年城端町 (1889年町制) と大鋸屋 (おがや) 村,北野村,南山田村,蓑谷 (みのたに) 村の4村が合体して成立。 2004年村,上平村,利賀村,井波町,井口村,福野町,福光町と合体して南砺市となった。中心地区は飛騨山地五箇山のふもとの市場町として栄えた。蓮如上人開基の善徳寺が天正1 (1573) 年に移されてからは門前町としても発達した。絹,人絹合成繊維の各織物業のほか,スキー,ラケットなどの木工業が行なわれ,弱電機部品工場が立地。9月中旬のむぎや祭は唄と踊りでにぎわう。南部の山地に林道温泉ミズバショウの自生地縄ヶ池がある。

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デジタル大辞泉の解説

じょうはな〔ジヤウはな〕【城端】

富山県南砺(なんと)市の地名砺波(となみ)平野の南端にあり、JR城端線終点。善徳寺の門前町として発達。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

城端
じょうはな

富山県南西部、東礪波(ひがしとなみ)郡にあった旧町名(城端町(まち))。現在は南砺(なんと)市の中央部を占める一地区。旧城端町は1889年(明治22)町制施行。1952年(昭和27)南山田、大鋸屋(おがや)、北野、蓑谷(みのだに)の4村と合併。2004年(平成16)東礪波郡井波(いなみ)町、福野(ふくの)町、平(たいら)村、上平(かみたいら)村、利賀(とが)村、井口(いのくち)村、西礪波郡福光(ふくみつ)町と合併、市制を施行して南砺市となる。旧町域は、礪波平野の南端高清水(たかしょうず)山地西麓(せいろく)の旧扇状地と山田川の段丘からなる。JR城端線の終点で、五箇山(ごかやま)へ通じる国道304号は、かつては峠越えの難所であったが、1984年(昭和59)に五箇山トンネルが開通している。中心地区の城端は山田川に臨み、中世末に福光(ふくみつ)から移転してきた真宗の名刹(めいさつ)善徳寺の門前町として発展、また近世以降、五箇山の養蚕を背景に製糸、絹織物業が行われ、いまも織物工場が残る。八幡(はちまん)社の曳山(ひきやま)行事(城端神明宮祭の曳山行事)は国の重要無形民俗文化財である。北西部の立野ヶ原(たてのがはら)はかつては陸軍の演習地で、第二次世界大戦後入植が始まり、野菜団地となっている。高清水山西麓には林道(りんどう)温泉があり、その南東方の縄ヶ池(なわがいけ)はミズバショウの群生で知られる。[深井三郎]
『『城端町史』(1959・城端町)』

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