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五部 ゴブ

デジタル大辞泉の解説

ご‐ぶ【五部】

五つの部類。
密教で、金剛界五仏の五智を表す分類。仏部・金剛部・宝部・蓮華(れんげ)部・羯磨(かつま)部に分ける。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

大辞林 第三版の解説

ごぶ【五部】

小乗仏教の各部派で、律の漢訳された法蔵部・説一切有部せついつさいうぶ・化地部・大衆部だいしゆぶ、戒本のみ訳された飲光部おんこうぶをいう。それぞれの律は四分律・十誦律・五分律・摩訶僧祇まかそうぎ律・解脱げだつ律。五部律。小乗五部。
密教で金剛界を五つに分けたもの。仏部・金剛部・蓮華部・宝部・羯磨かつま部の総称。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の五部の言及

【百済】より

…これらの運営には貴族の合議制・請負制をとっていた。戦時体制が強化されると,王都を五部に分け,各部に貴族を配置するとともに,それぞれ兵500人をおいた。地方は軍政色のきわめて強い行政制度で,全国を五方にわけ,各方の所在地を方城,長官を方領,副長官を方佐といった。…

【五族・五部】より

…五族の有力者たちが高句麗の貴族となり,王の廃立など国政を貴族会議で決定し,貴族はそれぞれ部内を統率し,私兵を擁していた。427年平壌に遷都すると,五族は内・東・西・南・北の五部,あるいは黄・前・後・左・右の五部と改称した。この改称を貴族勢力の衰退,王を中心とした中央集権の確立とみる説が有力であるが,貴族の構成員の変動と,貴族による中央集権の強化とみるのがよかろう。…

【五方・五部】より

…百済は王都を泗沘(しひ)(忠清南道扶余)に移すと,三国対立の激化に備えて,王都と地方の政治体制を軍政化した。王都を上・前・中・下・後の五部あるいは中・東・西・南・北の五部に分け,各部をさらに五巷(坊)に区分し,各部を軍政の単位とし,各部に500人の軍隊をおいた。また地方を五方に分け,中方は古沙城(全羅北道古阜),東方は得安城(忠清南道恩津付近),南方は久知下城(全羅南道長城か),西方は刀先城(未詳),北方は熊津城(忠清南道公州)を中心とした地方である。…

※「五部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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