部は〈ベ〉とも〈トモ〉ともよむ。日本では大化改新以前に,朝廷あるいは天皇・后妃・皇子・豪族などに隷属し,労役を提供し,また生産物を貢納した人々の集団をいう。部は,中国・朝鮮などにもひろく存在した社会制度で,日本の部の制度も,それらの影響下に成立したと思われる。中国では漢・魏から唐代にかけて,豪族のもとに部曲(ぶきよく)とよばれる集団が隷属し,その内容も軍伍→私兵→私賤というように変化したが,奴婢よりは上位の身分とされた。朝鮮では統一新羅から高麗末まで,行政区画として州・郡・県の下部組織に郷とならび部曲があった。この部曲は,一般農民の居住区である郷にくらべ賤民的な農民の居住区をさし,このばあいも奴婢身分とは区別されている。しかし,それ以前の高句麗・百済・新羅の三国時代に,王畿の行政区画または豪族の部族集団としての五部・六部の制度があり,これと別に百済では政治の部司として,職務を分掌する内官・外官を構成する諸部の制度があった。
日本古代の部の制度は,魏もしくは三国時代の百済の制度を入れたものといわれる。もともと宮廷には伴(とも)・伴緒(とものお)とよばれる官人の一団があり,内廷の職務を分掌していたが,5,6世紀ごろ朝鮮三国から多くの帰化人を迎え,広範な分掌組織をともなう外廷を成立せしめた。その上部に官人の統率者としての臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)という階層,その下に実務を担当する百八十部(ももあまりやそのとも),そして各職務に応じ生産・貢納に従う品部(しなべ)/(しなじなのとも)という,上下の統属関係にもとづくピラミッド型の官司制を成立させたと考えられる。
まず伴として,畿内の中小豪族を任ずる殿部(とのもり)(天皇の乗輿,宮殿の調度,灯火をつかさどる),水部(もいとり)(供御の清水や氷をつかさどる),掃部(かにもり)(殿内の掃除をつかさどる),門部(かどもり)/(かどべ)(宮殿の諸門の守衛をつかさどる),蔵部(くらひと)(内蔵,大蔵の出納をつかさどる),物部(もののべ)・佐伯部(さえきべ)(軍事・警察,刑罰をつかさどる)などがあった。部として,畿内やその周辺に居住する帰化氏族,その他を任ずる錦織部(にしこり)/(にしごりべ)(絹織物の生産に従う),衣縫部(きぬぬい)/(きぬぬいべ)(衣服の縫製に従う),鍛冶部(かぬち)/(かぬちべ)(鉄と兵器の生産に従う),陶作部(すえつくり)/(すえつくりべ)(陶器の製作に従う),鞍作部(くらつくり)/(くらつくりべ)(馬具の製作に従う),馬飼部(うまかい)/(うまかいべ)(馬の飼育に従う)などがあった。このように下部組織を形成する伴や部を〈トモ〉ともいい〈ベ〉ともいうのは,百済の官司の諸部の制度を輸入して朝廷の政治組織を革新したとき,朝廷の記録をつかさどっていた百済の帰化人=史部(ふひと)/(ふひとべ)が,本国の習慣に従い,漢語の〈部〉とその字音の〈ベ〉を,日本の〈伴〉の制度に適用したために生じたとみるのが正しいであろう。
さらに,このような官司制を統轄した臣・連・伴造らの畿内貴族は,その経済的基盤として,部曲・民部(かきべ)/(かきのたみ)の領有を公認され,天皇・后妃・皇子もおのおのの宮の経営や子女の養育の資として,名代・子代(なしろこしろ)を設定した。これらの部民は各地域の農民集団をさし,地方の国造(くにのみやつこ)にひきいられ,主家に力役や貢納の義務を負ったが,名代はさらに国造の一族から舎人(とねり),采女(うねめ)などを天皇・后妃の近侍者として差し出す慣習があった。また,朝廷の直轄領としての屯倉(みやけ)の耕作などに従う田部(たべ)も,各地の農民集団をさしている。これはある意味では,魏の豪族のもとに編成された部曲と共通する面もある。
しかし,日本の部民制の形成過程を考えると,まず臣・連を頂点とし,伴造-伴-品部という王権に従属する政治組織として成立し,この政治組織が中央から地方へ,官司から諸豪族へ,品部から民部へと拡大され,朝廷への力役(えたち)と貢納(みつぎ)の体制が完成していったものといえる。この体制のもとでは,部曲・民部も,臣・連・伴造らの領有する民であっても,彼らが朝廷における地位を背景として領有を実現した民であるから,単なる私有の民とはいえないであろう。ここに,第1次の古代国家組織が実現したと考える理由がある。その反面,大化改新のとき,大化前代の天皇のときに設定されていた名代・子代で当時臣・連などの所有に帰し民部との区別のつかなくなったものや,朝廷の品部で,臣・連などがみずからの氏の名を付して領有しているものがあったように,名代・子代や品部もその管理者は朝廷を構成する貴族であったから,支配系統に混淆がおこったのも事実である。公私の区別はまだあきらかでなかったといえよう。大化改新にはじまる律令国家は,このような部民を,一律に国家に帰属する公民として編成しなおしたものといえる。
執筆者:平野 邦雄
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…そのうち把頭に双鳳亀甲繫文の銀象嵌を施した円頭大刀の残存刀身(26.3cm)に〈各(額)田(部)臣□□□□(素か)□大利□〉という象嵌銘文の刻まれていることが,1983年末にX線撮影により明らかとなった。〈額田部臣(ぬかたべのおみ)〉は《出雲国風土記》によると大原郡少領にみえるので,この銘文によって,当時出雲に名代(なしろ)とみられる額田部を管掌する地方豪族として,〈臣〉のカバネを有する額田部臣の存したことが知られ,日本古代の部民制の展開を示す最古の貴重な史料となっている。【岸 俊男】。…
…日本古代において,中央貴族,ついで地方豪族が,国家政治上に占める地位,社会における身分の尊卑に応じて,朝廷より氏(うじ)の名と姓(かばね)をあたえられ(氏・姓(かばね)をあわせて姓(せい)ともいう),その特権的地位を世襲した制度。大化改新ののち,律令国家におよぶと,戸籍制によって,氏姓はかつての部民(べみん),つまり一般の公民にまで拡大され,すべての階層の国家身分を表示するものとなり,氏姓を有しないものは,天皇,皇子,諸王と奴婢のみとなった。
[政治制度としての氏姓制度]
このような制度は,原始共同体において,氏族や部族が社会の単位となった,いわゆる氏族制度とは異なる。…
※「部民」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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