井上武子(読み)イノウエ タケコ

20世紀日本人名事典 「井上武子」の解説

井上 武子
イノウエ タケコ

明治・大正期の女性 政治家・井上馨の妻。



生年
嘉永3年3月(1850年)

没年
大正9(1920)年3月21日

出生地
上野国田島村(群馬県)

旧姓(旧名)
新田

経歴
実家は、南北朝時代の名称・新田義貞子孫であるという。はじめ外国判事の中井弘に嫁ぐが、明治2年に離婚。同年、当時大蔵少輔であった井上馨と再婚した。9年夫とともにヨーロッパに渡り、西洋式社交術を修得。その他にも福沢諭吉愛弟子中上川彦次郎から英語を学び、社交界に必要不可欠な文学・料理・ファンション・テーブルマナーなどの知識も吸収した。11年に帰国後、外務卿となって欧化政策を進めた夫を助け、鹿鳴館での舞踏会や仮装会・慈善バザーを主催し、日本社交界の華として活躍。欧化政策の破綻後は、家庭人として夫を支えた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上武子」の解説

井上武子 いのうえ-たけこ

1850-1920 明治-大正時代,井上馨(かおる)の妻。
嘉永(かえい)3年3月生まれ。はじめ中井弘と結婚したが,明治2年離別し井上と再婚。9年井上のヨーロッパ視察に同行,外国の社交術をまなぶ。帰国後外務卿夫人として鹿鳴館で舞踏会,仮装会,慈善バザーなどを主催した。大正9年3月21日死去。71歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身旧姓は新田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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