井口城跡(読み)いのくちじようあと

日本歴史地名大系 「井口城跡」の解説

井口城跡
いのくちじようあと

[現在地名]井口村池尻・久保

井口村役場の北方赤祖父あかそぶ川左岸のジョウノハタケとよばれる一帯にある。付近一帯は圃場整備により景観が一変したが、城跡の一画がわずかに墓地として残り、記念碑が建つ。別名蛇喰じやばみ城・池尻いけのしり城ともいう。土豪井口氏の居城として知られ、康安二年(一三六二)や応安二年(一三六九)幕府に敵対した桃井直常方の拠点であった(「太平記」など)。応安二年九月二四日には、越中へ進攻した吉見勢によって井口城が攻め落されている(同年一二月日「得田章房軍忠状」尊経闍文庫蔵得田文書)。当地が南北朝時代には礪波平野の南部における政治・経済上の一中心地であったことを示している。


井口城跡
いぐちじようあと

[現在地名]高知市井口町

永福寺えいふくじ山の南東部にあり現在永福寺のある地も城跡の一部と伝える。長宗我部氏が台頭してきた頃、それと対抗する勢力をもっていた本山氏に属していた井口勘解由の居城。永禄三年(一五六〇)長宗我部軍の攻撃を受け落城、のち元親は井口城を吉田備中入道周孝に与えたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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