仁昌寺(読み)にんしようじ

日本歴史地名大系 「仁昌寺」の解説

仁昌寺
にんしようじ

[現在地名]師勝町鹿田 大門

鹿田山と号し曹洞宗。本尊延命地蔵菩薩。寛正元年(一四六〇)正眼しようげん(現小牧市)の五世魁叟祖梅の創建。いったん平僧地になったが、宝永三年(一七〇六)正眼寺二五世秀岩関松が法地を再興した(徇行記)往古天台宗古刹で、比叡山より関東への手継寺であったが、主僧が執事を怠り、比叡山よりの告状などを関東へ通じなかったので、比叡山の衆徒が怒って寺を焼払い、ついに廃寺となったという。


仁昌寺
にしようじ

[現在地名]一戸町小鳥谷 高森沢

小鳥谷こずやの中央部高森沢たかもりさわにあり、国道四号に沿う。義翁山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。正徳三年(一七一三)報恩ほうおん(現盛岡市)一三世喬志により草創されたという(新撰陸奥国誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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