仁正寺藩(読み)にしょうじはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「仁正寺藩」の意味・わかりやすい解説

仁正寺藩
にしょうじはん

近江(おうみ)国蒲生(がもう)郡などを領有した譜代(ふだい)藩。1620年(元和6)市橋長政(いちはしながまさ)は近江国蒲生・野洲(やす)郡、河内(かわち)国(大阪府)交野(かたの)郡の内で2万石を拝領し当藩をおこし、蒲生郡仁正寺村(滋賀県日野町)に陣屋を置いた。1622年、48年(慶安1)にそれぞれ分知したため1万7000石となった。長政、政信、信直、直方(なおかた)、直挙(なおたか)、長璉(ながてる)、長昭、長発(ながはる)、長富、長義と10代続き明治維新に至った。1871年(明治4)廃藩西大路(にしおおじ)県となり、同年11月大津県(翌年1月滋賀県と改称)へ合併された。これに先だち1862年(文久2)仁正寺は音が西大路に通じることから西大路藩と改称された。7代長昭は好学心高く、文武両道を奨励し、1796年(寛政8)藩校日新館を設立した。

[藤田恒春]

『『近江蒲生郡志』全10巻(1922・蒲生郡役所)』

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藩名・旧国名がわかる事典 「仁正寺藩」の解説

にしょうじはん【仁正寺藩】

江戸時代近江(おうみ)国蒲生(がもう)郡仁正寺(現、滋賀県日野町)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は日新館。1620年(元和(げんな)6)、越後(えちご)国三条藩から市橋長政(いちはしながまさ)が入り、近江国の蒲生郡、野洲(やす)郡、河内(かわち)国交野(かたの)郡のうち2万石を与えられて立藩した。以後明治維新まで市橋氏10代が続いた。石高は2度の分与があり、1648年(慶安(けいあん)1)に1万7000石となった。幕末の1862年(文久2)に西大路(にしおおじ)藩と改称。71年(明治4年)の廃藩置県で西大路県となり、その後大津県を経て、72年滋賀県に編入された。◇西大路藩ともいう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「仁正寺藩」の意味・わかりやすい解説

仁正寺藩
にんしょうじはん

江戸時代,近江国 (滋賀県) 蒲生郡仁正寺地方を領有した藩。藩主は市橋氏2万石 (のち1万 8000石) で,元和6 (1620) 年から入封。文久2 (1862) 年西大路藩と改称,廃藩置県にいたった。外様,江戸城柳間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「仁正寺藩」の解説

仁正寺藩

近江国、仁正寺(にしょうじ)(現:滋賀県蒲生郡日野町)に陣屋を置いた外様の小藩藩祖・市橋長政以降、藩主は代々市橋氏。1862年に西大路藩と改称し、廃藩置県を迎えた。

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