会津(あいづ)藩(福島県)の藩学。好学の藩祖保科正之(ほしなまさゆき)の後を受け、1788年(天明8)5代藩主松平容頌(かたのぶ)が、家老田中玄宰(はるなか)の建言で創立。藩士の子弟10歳以上の就学を規定。1799年(寛政11)日新館と命名、生徒1000名余。漢(朱子)学を中心に、皇学、神道(しんとう)(垂加(すいか))、洋(医)学、武学を教え、15歳以上は武学も併修。生徒は学業の進度により4等級に編成され、試験により進級する制度であった。成績優秀者は大学校(至善堂)に進み、学業・武道で一定の成績に達しない者は退塾を許さず、家督(かとく)相続で扶持(ふち)を減じられたりした。下士層は城外の南学館・北学館に学んだ。出版事業も盛んで『日新館童子訓』の編・刊など著名である。
ほかに同名の藩学が、美濃(みの)苗木(なえぎ)藩、近江(おうみ)西大路(にしおおじ)(仁正寺(にしょうじ))藩、但馬(たじま)村岡藩、対馬(つしま)府中(厳原(いづはら))藩、土佐藩支封宿毛(すくも)(家老伊賀氏領)にあった。
[木槻哲夫]
『吉村寛泰編「会津日新館志1~5」(『会津史料大系』所収・1983~85・歴史春秋社)』▽『小川渉著『会津藩教育考』(1931・同書発行会)』▽『文部省編・刊『日本教育史資料 1、5、6』(1889)』▽『笠井助治著『近世藩校の綜合的研究』(1960・吉川弘文館)』
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陸奥国会津藩の藩校。従来の学問所稽古堂を発展・解消して,1788年(天明8)から追手前大町通りに建設,99年(寛政11)に命名。規模・内容が整備されたのは享和・文化期で,経費は年5000石で運営。武術,朱子学を主流とする漢学のほか,和学・神道・算法・習字・習礼・天文・医学・洋学の学科が設けられ,藩士子弟は入学が義務づけられた。中央に聖堂,その門の東西に東・西両塾を配置して内容別に教授し,他に講釈所・文庫・武芸稽古所を設置。教科書の刊行も行われた。
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