生没年不詳。江戸初期の数学者。通称は仁兵衛。河内(かわち)国(大阪府)の狛庄の人。吉田光由(みつよし)の『塵劫記(じんごうき)』(1627)に対抗したと思われる、漢文で著された公式集『竪亥録(じゅがいろく)』(1639)を出版した。今村は、吉田光由の師でもある京都の毛利重能(もうりしげよし)に数学を習ったが、それは初歩の段階で、彼は自分自身でくふうして円に関する公式をつくり、それらをまとめて『竪亥録』としたのである。江戸初期の数学は『塵劫記』と『竪亥録』で代表され、礒村吉徳(いそむらよしのり)の『算法闕疑抄(けつぎしょう)』が出版されるまで、この2書が最高の教科書であった。『竪亥録』は江戸で100部印刷された。弟子の安藤有益(ゆうえき)は、この書を解説した『竪亥録仮名抄』を出版した。今村は、『竪亥録』の公式のなかで基本的な問題を短歌にまとめ、『因帰算歌』(1640)を出版している。暦の研究書である『日月会合算法(じつげつかいごうさんぽう)』(1642)も伝わっている。
[下平和夫]
(佐藤健一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…1639年(寛永16)刊。著者の今村知商(生没年不詳)は毛利重能の弟子で,毛利の評判を聞いて毛利の塾に入門した。しかし,今村が毛利から教わった内容は直線図形に関する計算であって,円や曲線に関する求積は今村自身がくふうしたことがこの書の序文に見える。…
…円周率は3.16または3.2で,3.16は永く使用された。 毛利重能の弟子に吉田光由(1598‐1672)と今村知商がいる。それぞれりっぱな著書を残している。…
※「今村知商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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