毛利重能(読み)もうりしげよし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「毛利重能」の意味・わかりやすい解説

毛利重能
もうりしげよし

生没年不詳。江戸初期の和算家。1622年(元和8)の著書巻末に「摂津(せっつ)国武庫(むこ)郡瓦林(かわらばやし)の住人、今京都に住む、割算天下一と号する者なり」とあるので、出生の地と現住所がわかるだけである。瓦林はいまの甲子園の近くで、先年この地に重能の記念碑がつくられ、同じ熊野神社の境内に算祖神社も建てられた。関孝和(せきたかかず)の弟子荒木村英(そんえい)の『荒木先生茶談』のなかに「古来の算師毛利勘兵衛(かんべえ)重能は豊臣(とよとみ)氏に仕え、大坂城中にあったが、落城ののち、江戸に出て浪人となった」とある。毛利重能の弟子には今村知商(ともあき)、吉田光由(みつよし)、高原吉種(よしたね)の3人があり、高原の弟子は関孝和、関の弟子が荒木村英であるから、村英のいうところはまず信用できるであろう。江戸で浪人したのち、京都へ行ったとも考えられる。

 このへんまでが毛利重能の伝記で信頼すべきところであろうが、後世になると伝記はどんどん拡大していき、渡明(とみん)説が現れ、出羽守(でわのかみ)に任ぜられたという説も生じた。

[大矢真一]

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改訂新版 世界大百科事典 「毛利重能」の意味・わかりやすい解説

毛利重能 (もうりしげよし)

江戸初期の数学者。生没年不詳。通称勘兵衛,出羽守ともいう。池田輝政の家臣であったが,浪人して京都に塾を開く。弟子に吉田光由と今村知商がおり,吉田と今村により和算の基礎が築かれた。毛利の著書は今日《割算書》(1622)と呼ばれる数学書と《秘伝書》という写本の一部分が伝わっている。《割算書》は現存最古の数学書《算用記》(竜谷大学蔵)の改訂増補版である。簡単な日常に必要な計算,利息算,面積,体積などが解説されている。求積法の中に,区分求積法らしい方法がある。中国の数学書の影響は見当たらず,室町時代からの数学がまとめられたと考えられている。円周率は3.16,錐率は100/296という記述がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利重能」の解説

毛利重能 もうり-しげよし

?-? 江戸時代前期の和算家。
摂津武庫郡(兵庫県)瓦林(かわらばやし)の人。池田輝政につかえ,のち京都で家塾をひらいたという。門人に吉田光由(みつよし),今村知商(ともあき),高原吉種ら。元和(げんな)8年(1622)刊行した「割算書」は,著者名がわかる和算書としては現存最古のもの。通称は勘兵衛。

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世界大百科事典(旧版)内の毛利重能の言及

【算用記】より

…内容は,八算,見一,四十四割,四十三割,唐目十六割,体積,利息,細工作料,検地,普請割,登り坂,測量その他となっている。毛利重能の《割算書》(1622)はこの《算用記》を改訂増補してまとめられた数学書である。前述の算法のほとんどが毛利重能の《割算書》に引き継がれている。…

【和算】より

…室町・織豊時代の数学をまとめたと思われる刊本数学書《算用記(さんようき)》(竜谷大学蔵)がある。これを増補訂正したのが毛利重能(もうりしげよし)著《割算書(わりさんしよ)》(1622)である。同じころ,佐渡に渡ってきた百川治兵衛は弟子のために巻物の《諸勘分物(しよかんぶもの)》第2巻(1622)を書き残している。…

※「毛利重能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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