仙北町(読み)せんぼくちよう

日本歴史地名大系 「仙北町」の解説

仙北町
せんぼくちよう

[現在地名]盛岡市仙北一―二丁目など

湾曲して南流する北上川右岸に位置する三町ほどの町人町(「盛岡砂子」など)。元文城下図によれば、川原かわら町より新山しんざん舟橋を渡った奥州街道は橋詰右折、その先で左折して南下する。同街道の両側町で、橋詰より東に延びる横町の南側の片側町(水主町)を含む。南東仙北町村、西は青物あおもの町・向中野むかいなかの村に接し、南は仙北組町に続く。なお正保城下図(内閣文庫蔵)では、すでに両側町が形成されている。盛岡藩二代藩主南部利直は他領からの来住者を受入れる方針をとり、羽州仙北からの移住者が居住したのが町名の由来とされる(盛岡砂子)

仙北町
せんぼくまち

面積:二九・六九平方キロ

仙北平野のほぼ中央に位置し、東は太田町・千畑せんはた村、西は大曲おおまがり市、北は中仙なかせん町と接する。東部のしん山・長森ながもり丘陵を除き平坦で、東から西に緩やかに傾斜し、耕地が七割を占める。奥羽山脈に発する川口かわぐち川と丸子まるこ川が西流し、町の西端で合流する。

真山長森を中心とする払田柵ほつたのさく跡は延暦期(七八二―八〇六)以前の造営と推定される古代城柵跡で、この柵を中心に蝦夷地征服と開発がなされたものと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報