日本歴史地名大系 「仙納村」の解説 仙納村せんのうむら 新潟県:西頸城郡能生町仙納村[現在地名]能生町仙納筒石(つづいし)川上流の山間部にあり、北は徳合(とくあい)村、南は空熊(そらくま)新田に続く。戦国時代に徳合城主一族が住みつき、村となったと伝える。正保国絵図に高五六石余とある。天和三年(一六八三)の検地帳写(池亀三次氏蔵)によれば、田方五町八反九畝余・畑方二六町六反四畝余、田畑屋敷色高合一二二石六斗余、屋敷持百姓二一、うち抱一三。集落西方に平畑(たいらばたけ)遺跡があり、住居跡二が検出され、縄文中期前半から、縄文後期前半にかけてのものと考えられる。 仙納村せんのうむら 山形県:東田川郡朝日村仙納村[現在地名]朝日村倉沢(くらさわ)上田沢(かみたざわ)村の西、大鳥(おおとり)川の左岸に位置する。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高四三石余。正保郷帳では田高三七石余・畑高六石余。弍郡詳記でもほぼ同高で免六ツ二分五厘、家数一四。慶応三年(一八六七)の検地帳(南支所文書)によると反別は三町七反余。 仙納村せんのうむら 新潟県:東頸城郡松代町仙納村[現在地名]松代町仙納西は田野倉(たのくら)村、北は莇平(あざみひら)村。正保国絵図では高五石余。天和三年郷帳では高四石七斗余、反別田二反余・畑屋敷四反余・山林一反余・青苧畑三畝余で、家数四。安永九年(一七八〇)の新田検地では高三五石七斗。明治五年(一八七二)の戸数三四。貞享五年(一六八八)の鉄炮無之村々証文帳控(国立史料館蔵)では当村の庄屋一人・組頭一人・百姓一人・名子三人が連印している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by