百科事典マイペディア 「伊佐早荘」の意味・わかりやすい解説
伊佐早荘【いさはやのしょう】
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肥前国高来郡(現,長崎県諫早市)の荘園。平安時代末に伊佐早村田畠が本領主藤井宮時より宇佐宮権検校円昭に譲られ,さらに円昭より宇佐大宮司公通に譲られて公通の私領になったという。《高城寺文書》宝治1年(1247)10月6日六波羅施行状案で,伊佐早荘遠竹村地頭職に高木勝丸が補任されたのが伊佐早荘の初見史料である。また永野村地頭職を筑前国宗像大宮司が知行し,1260年(文応1)本主永野氏と相論して,東西に下地中分したことがわかる。92年(正応5)河上宮造営用途支配惣田数注文によれば,伊佐早荘は253丁とある。正和年間(1312-17)には京都仁和寺仏母院領であったが,南北朝時代には恩賞地の対象として,武士たちに配分されている。伊佐早荘の名称は応永年間(1394-1428)まで残存しているが,荘園としての機能は南北朝時代初期に終わっていたものと思われる。
執筆者:瀬野 精一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報