日本歴史地名大系 「伊豆国府・伊豆府中」の解説 伊豆国府・伊豆府中いずこくふ・いずふちゆう 静岡県:三島市伊豆国府・伊豆府中現三島市北西部、伊豆国分(いずこくぶん)寺付近に比定される。国府所在地をめぐる説としては、当初現大仁(おおひと)町田京(たきよう)にあったが、のちに三島市内に移転したという説、小浜(こばま)池の南側に比定する説(国府)、市内鷹部屋(たかべや)付近にあったが、のち三嶋社(三嶋大社)の西方で伊豆国分寺の東側である長谷(ちようや)付近に移転したという説(歴史の道―東海道)などがあったが、現在では伊豆国分置の当初より三島市内にあり、国庁を中心として三島市街地域内に諸施設が分散的に置かれたか、あるいは移動した可能性が指摘されている(静岡県史)。本来は伊豆の国府所在地の意であるが、中世には三嶋社の門前町としてまた鎌倉へ赴くための箱根(はこね)路の宿場町としての様相が濃くなり、明確な地名として残ることなく、三島と同意義になっていったと考えられる。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)八月二七日条に「伊豆国府」とみえ、同月二四日の石橋(いしばし)山(現神奈川県小田原市)での合戦に敗れ箱根(はこね)山中に隠れていた加藤光員・景廉兄弟は、老父景員を走湯山(伊豆山神社)に預けると甲斐国に赴くため、二七日夜伊豆国府を通過したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by