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伊都内親王 いとないしんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊都内親王
いとないしんのう

[生]?
[没]貞観3(861).京都
桓武天皇の皇女。母は藤原南子。阿保親王の妃となり,在原行平,業平を生んだ。奈良興福寺に伊都内親王願文が残っている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊都内親王 いとないしんのう

?-861 平安時代前期,桓武(かんむ)天皇の皇女。
母は藤原平子(へいし)。阿保(あぼ)親王と結婚し,在原業平(ありはらの-なりひら)を生む。一説に在原行平(ゆきひら)も生んだという。天長10年(833)興福寺墾田を寄進,このときの願文(がんもん)は橘逸勢(たちばなの-はやなり)の筆とつたえられている。業平にあたえた歌が「古今和歌集」にある。貞観(じょうがん)3年9月19日死去。名は伊登,伊豆ともかく。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊都内親王

没年:貞観3.9.19(861.10.26)
生年:生年不詳
平安前期の皇女,在原業平の母。「伊登」「伊豆」とも書く。桓武天皇と藤原乙叡の娘平子の子。外祖父乙叡は右大臣を父とし,母百済王明信への桓武の寵愛もあって早くに中納言となるが,桓武の死後伊予親王事件で失脚し,翌年死去。内親王は幼少で父と外祖父を失った。天長初年ごろ,薬子の変による左遷が解けた平城天皇の子,阿保親王と結婚,天長2(825)年に業平が生まれた。橘逸勢の筆と伝えられる「伊都内親王御施入願文」によると,同10年,母の遺言により興福寺に墾田を寄進とあり,このころ母を失っている。承和9(842)年に阿保親王が死去。嘉祥1(848)年,京の宅に落雷があった。晩年は長岡に暮らし,京に住む業平の訪れを待つ日々であった(『伊勢物語』)。

(西野悠紀子)

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