朝日日本歴史人物事典 「伊都内親王」の解説
伊都内親王
生年:生年不詳
平安前期の皇女,在原業平の母。「伊登」「伊豆」とも書く。桓武天皇と藤原乙叡の娘平子の子。外祖父乙叡は右大臣を父とし,母百済王明信への桓武の寵愛もあって早くに中納言となるが,桓武の死後伊予親王事件で失脚し,翌年死去。内親王は幼少で父と外祖父を失った。天長初年ごろ,薬子の変による左遷が解けた平城天皇の子,阿保親王と結婚,天長2(825)年に業平が生まれた。橘逸勢の筆と伝えられる「伊都内親王御施入願文」によると,同10年,母の遺言により興福寺に墾田を寄進とあり,このころ母を失っている。承和9(842)年に阿保親王が死去。嘉祥1(848)年,京の宅に落雷があった。晩年は長岡に暮らし,京に住む業平の訪れを待つ日々であった(『伊勢物語』)。
(西野悠紀子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報