伊都内親王願文(読み)いとないしんのうがんもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊都内親王願文」の意味・わかりやすい解説

伊都内親王願文
いとないしんのうがんもん

833年(天長10)桓武(かんむ)天皇の皇女伊都(伊登、伊豆とも書く)内親王(?―861)が母藤原平子の遺言によって、墾田16町余、荘園(しょうえん)1所、畠1町を、藤原氏の氏寺(うじでら)である山階寺(やましなでら)(現在の興福寺)の東院西堂に香灯読経料として寄進したときの願文楮紙(こうぞがみ)に格調の高い行書で書かれている。三筆の一人橘逸勢(たちばなのはやなり)の筆と伝えられているが、確証はない。末尾にみえる「伊都」の署名は、25か所の朱の手形とともに、内親王のものと思われる。なお、内親王は在原業平(ありわらのなりひら)らの生母である。

[尾下多美子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊都内親王願文」の意味・わかりやすい解説

伊都内親王願文
いとないしんのうがんもん

桓武天皇の皇女伊都内親王が山階寺 (現興福寺) の東院西堂に香灯読経料を寄進したときの願文。天長 10 (833) 年9月 21日の日付がある。料紙は白麻紙,1巻より成る。書は行書体で,巧妙な技法と深遠な筆意をそなえ,平安三筆の一人,橘逸勢 (はやなり) の筆跡と伝えられる名跡で,御物

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